内田 浅野さんにとって「絵を描く」とは?
浅野 2013年に映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』の撮影で中国に長期滞在したとき、ストレスで立ち止まっている自分を感じたんです。持っていた黒のボールペンで目の前にある台本やホテルのメモ帳、薬袋などに絵を描きまくっていたら、すごく楽になりました。帰国後も描き続けたら3634枚にもなって、ワタリウム美術館でドローイングの個展をやっていただきました。
内田 描きまくる浅野さんは、出征の朝、あと10分、あと5分描かせてくれとギリギリまで筆を握っていた画学生を彷彿させます。
浅野 その後も立ち止まることはあったんです。コロナで仕事が止まったり、思いがけなかった困難な状況もありました。いつも絵を描くことで救われました。
「自分がやっていることは音楽でも何でもない」痛感したきっかけ
内田 音楽もずっとやっていらっしゃいますよね。
浅野 若い頃、音楽をやることで、俳優をやらせようとする父に反抗していたんですよ。もちろんバンドは楽しいですが、でもCharaと最初の結婚をしたとき、自分のやっているのは音楽でも何でもないと気づいた。今は息子(佐藤緋美・24)が音楽をやっていますから、もう息子がやればいいやと思うんですよ(笑)。
内田 確かに、緋美さんの音楽は、唯一無二ですよね。
浅野 緋美君、いつの間にそんなにできるようになっちゃったの? ちょっとお父さんに教えて、みたいな(笑)。
内田 浅野さんの創造の源は何だと思いますか。
浅野 答えになっていないかもしれませんが、アメリカ人の祖父の存在は大きいと思います。会ったこともない人の影響で髪が茶色いとか、目が茶色いとか、目立ちたくなくても目立つ。子ども心にも自分は何か常に発しているんだと思いました。それが表現するということに繫がったのだと思います。
表現する上で気をつけているのは、台本を読むときも、どこかで見た映画の登場人物が喋っているような話し方で読んでしまうことがある。それではつまらない。