文芸坐がプロデュースしたマインド・ウェーブ・シネマ

――そういう流れと別に、マインド・ウェーブ・シネマというのがありましたよね。

今関 周りが8ミリ全盛でピークに達している中で、僕も何かもうひとつ、上と言うとおかしいけど、前へ行きたくて、16ミリで撮ろうと急に思い出して。お金はかかるけど、節約すれば何とかなるだろうといって。で、『フルーツ バスケット』という映画を『MOMENT』の後に作った。

『フルーツ バスケット』撮影中のスナップ

 『MOMENT』のヒロインでもある矢野ひろみちゃん主演で、庄司真由美ちゃんと大蔵悦子さんと3人の女の子が街の中の小川からボートに乗って海に行くまでの話。それぞれいろんなことを抱えていて、毎日リストカットしている女の子だったり、家出している子だったり。文芸坐でも上映してくれて、人も入った。するとお金を出すから8ミリを撮らないかと文芸坐が言い出した。今思えばまあまあのお金、30万とか50万とか出してくれて、その時に犬童と組んでマインド・ウェーブ・シネマというのを作った。僕が『MILK○MILK』、犬童が『夏がいっぱい物語』を撮って、文芸坐オンリーで上映するというスタイル。面白いですよね。自主映画でお金をもらって撮るって。

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『フルーツ バスケット』メイキング

――ル・ピリエでやったんですか?

今関 そうですね。結構ロングで上映してもらって。

文芸坐ル・ピリエのチラシ

――文芸坐が文芸坐と文芸地下の間にもうひとつ小さな劇場を作って、そこで8ミリや16ミリをかけられる体制が出来たのは画期的でしたよね。

今関 そう。柱があって劇場としては結構使いづらいけど、自由だったので。文芸坐が作って上映する、産地直送映画なので、人も入って。

――そうですよね。

今関 自主映画でもアイドル映画のように、サイン入りのブロマイドとかを売ってその物販もお金になった。それに普通の子だから、ほぼ毎日のように舞台あいさつに来れるわけですよ。AKBじゃないけど、会えるアイドルだから。

――今で言う地下アイドル。

今関 そう。だから人が結構毎回来てくれて。その中に筋肉少女帯の大槻ケンヂ君が来ていた。当時、荻窪だか高円寺だかに住んでいて、自転車で池袋まで通っていたらしい。マインド・ウェーブ・シネマの会員証みたいなのがあって、それのナンバーも1桁台だったと思いますよ。

――あの時代の文芸坐って他にも自主映画にお金を出してましたよね。

今関 そう。いい感じで回転してましたね。

――山川直人さんの『アナザ・サイド』とか長崎俊一さんの『闇打つ心臓』とか。

今関 そう。そういう意味では支えられてましたよね。ぴあに支えられ、文芸坐に支えられ、なんかうまく転がっていた気がします。

――僕の『星空のむこうの国』も文芸坐です。

今関 そうですね。

今関あきよし監督 ©藍河兼一

注釈
1)お茶の子博士のホラーシアター バラエティ番組「もんもんドラエティ」の1コーナーとして放送された短編ドラマ。手塚眞がお茶の子博士として前説を務めた。

次の記事に続く 応募者12万7000人、一大オーディションで富田靖子を見出したプロデビュー作『アイコ十六歳』は「敗北だった」と今関あきよし監督が振り返る理由

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