『小さな恋のメロディ』で映画の魅力に取りつかれた今関監督。高校時代には仲間と8ミリ映画製作をはじめ、初監督作も撮った。やがて雑誌『ぴあ』を媒介とした8ミリ映画仲間のつながりが広がっていく。(全4回の2回目/3回目に続く)
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「葉っぱ2枚の上映会」を続ける
――そして、『FANTASTIC★PARTY』と一緒に上映会が始まります。豊島区民センターで。
今関 面白いと思ってくれた人にはお金を払ってもらって、つまらないという人は無料でもいいようにしたいねということから、「葉っぱ2枚の上映会」と銘打ってスタートしたんです。葉っぱを2枚持ってくれば、お金はなくても観ていいですよと。豊島区民センター前の公園には葉っぱがいっぱい落ちてますから、それを持ってくればオッケー。もし面白ければ、10円でも100円でも帰り際に置いてくれといって、箱に入れてもらったりする。
――月1ぐらいでずっとやってましたね。
今関 最低月に1回はやろうと。多くて2回。手塚眞が手塚治虫の息子だというのは、その上映会で知ったんですよね。本人が言わないので。上映会で手塚治虫さんが来て、「ああ、そうか。手塚、なるほど」と。手塚治虫さんは1万円置いていきました。
――上映作品に毎回違う作品を入れたりしてました。
今関 そう。『FANTASTIC★PARTY』が賞を取った時に眞が出会った増井公二君の『王将餃子edムービー』(1978)とか。いろんな組み合わせでやってましたね。
――僕の『TURN POINT10:40』(1979)もやってもらいました。
今関 成蹊高校映画研究部の作品はクオリティが高いので、何本かやったりして。それはずいぶん刺激的だったし。当時の自主映画の監督、黒沢清さんとか、山本政志さんとか、結構そうそうたるメンツが上映会に来ていたりするんです。冷やかし半分だと思うけど観に来てくれて、ありがたいなと。
――その時代の自主映画界に横のつながりができた感じですね。
今関 そうですね。できてましたね。当時、あんまりセクトというか、壁がなかったから。石井聰亙(現・岳龍)監督は日芸で、眞もその後日芸に入るけど、なんだかんだ交流はありましたよね。
『ORANGING'79』でPFFに入選
――『ORANGING'79』はその頃ですよね。
今関 三留まゆみちゃんが主演で撮った映画が『ORANGING'79』。風景を撮ったり女の子を撮ったりするスケッチの延長線上で、まゆみちゃんの日常生活を追いながら、自分の好きなテイストを入れて。やっぱり最後ぐらいちょっと映画っぽくしようと、江ノ島の海の防波堤からまゆみちゃんがアメリカへ行くといって浮き輪を持って泳ぎだすところが最後なんですけど。あれは『ルパン三世』のラストもそうなんですよ。
――みんなが沖に向かって泳いで、「アメリカに行くぞ」みたいな。
今関 そうそう。ああいう自由なのがいいなと思って。
――三留まゆみちゃんとはどういう出会いだったんですか?