『アイコ十六歳』でプロデビューしたものの、悔しさが残った今関監督。自らの実力不足を感じ、映画やドラマ、MVなど様々な仕事で経験を積んでいった。そして、ソ連崩壊直後のロシアを描く大林宣彦監督のドキュメンタリー撮影に同行したことから、関心を持ったチェルノブイリの悲劇を映画化する。ところがその完成直後に――。(全4回の4回目/最初から読む)
◆◆◆
『四月の魚』で大林監督の現場を経験
――今関さんはその後も大林さんの映画のお手伝いが多かったですね。
今関 『アイコ十六歳』をやってプロの現場を知って、悔しい思いをいっぱいしたので。これで消えちゃったら嫌だなと。当時、新人で監督デビューしても、消えちゃう監督が結構いたんです。なんとしても力を付けて持続していきたいと、テレビをやったりした。鈴木清順主演でテレビドラマを京都太秦で撮ったり、連ドラや2時間ドラマをやったり、『アイコ』以降僕はテレビ時代に突入したんです。それで段取りも含めていろいろ現場を覚えるわけですよ。それをやりながら、大林さんからもお声がかかって、『四月の魚』というYMOの高橋幸宏さん主演の映画のメイキングをやってくれないかと。まだフィルム時代だから、メイキングも16ミリフィルムなんです。日芸でカメラをやっている2人をアシスタントに呼んで、3人でメイキングを回すというのが、大林さんの映画に直接かかわる最初だった。
――『四月の魚』にメイキングで付いて、いかがでしたか?
今関 結局現場を見ていると僕らがやっていることとあんまり変わらなくて、時間がなきゃないでぶん回しで撮って、編集を見たら間を抜いてる。似てるようなことをやってるんだなと身近に感じた。あと、やっぱり体力があるなと。メイキング班が疲れちゃって、現場移動する時に、いつも本編スタッフに起こされてました。
――大林さんは寝ないでいい人でしたからね。
今関 それで、大林さんの映画のBカメをやったり、『SADA』の時なんかも編集を手伝ったりとか、いろんなことをやらせていただいて。大ファンの人間が監督を手伝うなんて本当に恐れ多くて、かつ、面白かったし、刺激的でした。
大林監督のドキュメンタリーに参加
――黒澤明さんのドキュメンタリーもありましたね(注1)。
今関 黒澤さんの『夢』という映画を1年ぐらい追いかけなくちゃいけないから、萩原一則君と(大林監督の長女の大林)千茱萸ちゃんと僕で現場にベタに付いて。ジョージ・ルーカスとかそうそうたるメンツにお会いできたり黒澤さんの現場もじかに見れたし。貴重な体験ですね。