いま日本映画界を第一線で支える映画監督たちには、8ミリ映画を自主制作し、才能を見出され、商業映画にデビューした者たちが少なくない。そんな監督たちに自主映画時代を振り返ってもらう好評インタビュー・シリーズの第9弾は、今関あきよし監督。学生時代からともに上映会を催した先輩に、自身も自主映画出身監督である小中和哉氏が聞く。(全4回の1回目/2回目に続く) 

今関あきよし監督 ©藍河兼一

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 今関あきよし監督は、学生時代からよく知る8ミリの先輩。手塚眞さんたちと一緒に上映会をよくやっていたが、その仲間の中で最初にプロの映画監督としてデビューしたのが今関さんだった。今関さんに自主映画の頃のことを振り返っていただいた。

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いまぜき・あきよし 1959年生まれ。学生時代『ORANGING’79』がぴあフィルムフェスティバル(PFF)で大林宣彦監督の推薦により入選受賞。23歳で富田靖子初主演の劇場映画『アイコ十六歳』でプロとしての監督デビューを果たす。以後、『グリーン・レクイエム』『十六歳のマリンブルー』『ツルモク独身寮』『すももももも』『タイム・リープ』など、ティーンエイジアイドルなどを中心とした映像作品を監督。活動休止期間を経てチェルノブイリの悲劇を描く『カリーナの林檎~チェルノブイリの森~』、ウクライナの神秘的な緑のトンネルを舞台にした映画『クレヴァニ、愛のトンネル』などを発表。近年は『釜石ラーメン物語』『青すぎる、青』『顔さんの仕事』『しまねこ』など旺盛な創作活動を行っている。

カルチャーショックだった『小さな恋のメロディ』

――映画ファンになったきっかけになる映画はありましたか? 

今関 姉が洋楽や洋画が好きで、『小さな恋のメロディ』という、トレーシー・ハイドとマーク・レスターが出ている映画は面白いから観ろと。渋々行ったら、カルチャーショックでしたね。だって、小学校高学年ぐらいの年の子が恋愛をして、「僕たちは結婚します!」とか言って、大人に反抗して、先生たちが止めるのに自分たちで隠れて結婚式をする。まあ、かわいい反抗映画でもあったんだけど。ビー・ジーズとかが音楽をやった音楽映画でもあって音楽とか、イギリスのロンドンの風景とか、あとはカルチャーですね。出てくるものが、食べ物含めて、なんかすごいなとひたすら思った。

『小さな恋のメロディ』ポスター

――いくつの時ですか?

今関 中1ですね。ヒロインのトレーシー・ハイドに夢中で、僕にとってはアイドルというか、授業中、トレーシー・ハイドの絵をずっと描いてた。トレーシングペーパーでまずなぞって、それを写して、それから影を付けたり色を付けたりしてほぼ一日過ごしている男の子でしたね。