8ミリ仲間との出会い
――8ミリカメラとの出会いというのはいつだったんですか?
今関 8ミリは高校に入ってからですね。日大豊山高校という男子校だったんですけど、そこで宮崎巌(注1)という、後にぴあ(PFF)に入選した人と出会った。僕は写真が好きで、映画より先に親父のカメラで近所の風景とか子どもたちを撮ったりしていた。それで、「今関はカメラがうまいんだから、8ミリのカメラをやってくれ」と言われて、宮崎君が監督をした。その時、「俺の友達にも映画好きなやつがいる」と紹介されたのが小林弘利君(注2)なんです。
――そこで小林さんと知り合ったんですね。
今関 実は小林君は小学校からの友人ではあったんですよ。でも映画ファンじゃなくて、車が好きで、車の発表試乗会に2人で行ったりしてた。免許もないのにね。その小林君がいつの間にか映画が好きになっていた。その3人で作ったグループが、騎士倶楽部(ナイトクラブ)。そこで8ミリを撮るようになって、それが最初ですね。
――最初は宮崎さんが監督をして。
今関 そうです。宮崎君はゴダールとかアラン・レネ、黒木和雄、そうしたアート系が大好きだった。僕や小林君は元々怪獣映画が好きだったので、「なんだそれ」と思いながらも、ゴダールの短編映画とか、普通観ないような映画をいっぱい紹介されて観て。刺激的な時間を過ごしましたね。
初監督作は日常のスケッチ
――自分で監督もやったんですか?
今関 小林君と僕で、ドラマじゃなくて、毎日日常を撮ろうと。高校に通っている行き帰りで、きれいだなと思う夕焼けを撮ったり、かわいいなと思う女の子をちょっと遠めから撮ってみたり、スケッチで撮っていたんです。1年弱、ちょっとずつちょっとずつ撮って、「フェスティバル」というタイトルでまとめた。最初と最後ぐらい映画っぽくしようと、小林君に千葉の海に入ってもらって、海の中から制服姿でカバンを持ってビジャビジャになりながら出てくるのを撮った。そこから始まって、高校時代を圧縮したいろんなモンタージュがあって、最後、また制服で海の中に入っていく。それが処女作。共作ですけどね。
――出発点から小林さんとコンビだったんですね。
今関 そうです。高1、高2あたりですね。
――高校の時は他にも監督作があったんですか?
今関 宮崎君は劇映画、僕と小林君はスケッチ風の短編を撮ってました。風で揺れているカーテンがあったら、いいなと思って、そのカーテンをずっと撮っているだけの映画とか。実験映画とかではなく、スチールの動くものという感覚。きれいな光があったらそれを撮ってみた。キラキラする湖を撮ったり。映画というよりもスケッチ。だからどうしたという感じですけど、それが楽しかったです。