夫と一緒に日本と海外を行き来する生活をしながら、一時帰国すれば日本食の材料や調味料をどっさり買い込み、スーツケースにパンパンになるほど詰め込んで飛行機に乗る。こうやって海外で夫のために和食を作る毎日が続いた。

「外国で生活しているのに、自分はずっとキッチンにいる。『何のために結婚したんやろ』と考えるようになりました。それまで舞妓・芸妓として自分を表現する仕事をしてきたので、夫のために生きているような生活を続けるのがつらくなりました」

6年間、祇園という小さな世界で過ごしたモエさんにとって、外の世界は心をわくわくさせる新しい場所だった。「家の外に出て働きたい」と切望するようになったが、その情熱は「妻が働きに出ることは夫として恥ずかしいこと」と考える彼には理解されなかった。

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話し合いを重ねたが、双方の結婚に対する考え方の溝が埋まることはなく、結局3年の結婚生活に終止符を打つことになった。

元夫の訃報で目が覚めた

離婚したモエさんは、心機一転、東京で生活を始めるが、厳しい現実が待っていた。

祇園時代は特殊な環境に守られ、結婚後は夫の収入に支えられ、金銭面で困る経験をしたことがなかったモエさん。東京での生活費を捻出するため、まずは花屋とカフェのアルバイトを掛け持ちした。それでも足りず、舞妓の経験を生かした着物の着付けサービスを始めた。口コミで仕事は増えたものの、東京での生活費には足りない。「寝るためだけに帰宅する」という日々が続いた。舞妓時代の貯金も、この時に尽きた。

そんなある日、元夫がガンで亡くなったという知らせを受けた。離婚直後にガンがわかったが、彼女には言わないまま闘病生活を続けていたのだ。家族がモエさんに連絡しようとしたが、元夫は「彼女は仕事を頑張っているはずだから、心配をかけたくない」と、とめたことを後から知った。

元夫の訃報を知り、人生は何が起こるかわからないと感じたモエさんの中で何かが吹っ切れ、今まで邪魔していたプライドもなくなった。必要な時には周りに助けを求め、自分を飾らずありのままをさらけ出すのが怖くなくなったという。中卒であることに引け目を感じるのではなく、「舞妓だった」というユニークさを武器にしようと考えるようになる。こうして、モエさんのバックグラウンドを面白いと思ってくれたランジェリーブランドの営業兼広報の仕事についた。