いつどこで魏容疑者は王や楊と知り合ったのか

 ショックを受けた父親の吐息だけが聞こえ、長い沈黙が続いた。そして父親は落胆した様子で言う。

「そうですか……」

「私もいまわかっているのは、それくらいのことしかありません。今後またなにかわかることがあればお伝えします……」

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 そう訳してもらうと、Eさんの日本での携帯電話番号を先方に教え、なにかあればこの番号で連絡がつくことを伝えると、通話を終えたのだった。

河南省に住む魏巍の両親

 父親の反応から推測するに、中国の公安当局のみならず、日本の捜査当局やメディアからの連絡は受けていないようだった。

 一家4人殺害の実行犯が、中国人留学生3人だったという疑いが強まったことの衝撃は大きい。ニュースは連日この事件について報じており、週刊誌で取材をしていた私も、福岡市に留まって取材を続けていた。

 そこで出てきたのが、実家のある地域や日本での留学先の異なる魏が、いつどこで王や楊と知り合ったのかという疑問だ。

 福岡市内にいる中国人留学生や、福岡県警担当記者などへ取材を続けるなかで、一軒のインターネットカフェの名前が挙がってきた。インターネットカフェとはいうが、繁華街にあるマンガ喫茶の発展形ではなく、ビルの一室を使った、中国人向けのインターネットカフェだという。

福岡の中国人向けインターネットカフェ「A計画」

 その店は、福岡市の中心街・天神から北側の海岸方面に向かう途中の、幹線沿いの雑居ビルのなかにあった。

 店名は「A計画」。

 私が取材した当時は「T」(仮名)という別の店名がドアの前に掲げられていた。室内は業務用デスクにパソコンが並ぶ無機質な造りで、隣席との仕切り等はない。

 「A計画」の設立経緯を知る在日中国人は、次のように明かす。

「空き物件を見つけた中国人Kが、ここでインターネットカフェをしたいと考えました。ただ、彼には設立するまでの資金がなかった。そこで知り合いに出資を呼びかけたのです。出資したのは全員中国人で、魏と同じコンピュータ専門学校に留学しているHという26歳くらいの男が80万円、妹が北九州市にいるMという30歳くらいの男が200万円、そして呼びかけ人のKが100万円を出して始めることになったのです。その際に、一番カネを出したMが不動産の契約を行い、Kが店長をすることに決まりました」

 その結果、02年11月頃に「A計画」が開店する。

 魏が「A計画」に初めてやってきたのは、03年の2月中旬頃とされる。つまり犯行の4カ月前である。そこでこの店の店長だったK(当時25)と知り合い、Kの紹介で同月20日頃に王亮と出会う。さらに魏は、王から紹介されることで、4月14日頃に楊寧と知り合ったという経緯が、後の裁判で明かされている。なおこの件については、まず魏とKが外で知り合い、それで魏が「A計画」に来るようになった、という情報も一部であったことを付記しておく。