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“観察する監督”想田和弘「マイケル・ムーア的なものは、もううまくいかないんじゃないか」

観察映画第8弾『ザ・ビッグハウス』はどうやって作られたか?

10万人の国歌斉唱を撮影しながら「自我が溶解していった」

――マクロの視点と、ミクロの視点があるからこそ、大きさが見せられたということですか? 

想田 そうですね。顔のない群衆としての観客の動きを、まさにレニ・リーフェンシュタールが『意志の勝利』でナチス・ドイツの党大会を記録したように撮影した学生もいれば、観客のユニークな顔を陳列するように撮ってきた学生もいる。そこから、一人一人顔があり、表情があり、それぞれの動きがあるのに、ビッグハウス全体としては何か巨大な生命体のような動きを見せる瞬間があることを映像にできたと思っています。

撮影中の想田さん 写真=テリー・サリス

――その意味でいうと、アメフトの試合が始まる前の国歌斉唱のシーンは印象的です。

想田 あのシーンは僕が中心に撮影しているんですが、撮りながら「これは映画の核になるシーンかもしれない」と思いました。というのは、10万人近い観客が一斉に同じメロディーで歌詞を歌う場所にいると、アメリカ人でもない自分さえもがなぜか高揚してくるのがわかるんです。ゾクゾクしてくる。

――巻き込まれて一緒に同じことをしているような気持ち良さでしょうか。

想田 自我が溶解していくような気持ち良さですよね。人間はこういう感覚を本能的に求めているんだろうなって、実感しました。ただ、これは怖いことでもあって、まさにそれが政治的に利用されればファシズムの温床になるし、プロパガンダに利用することもできる。

(C)2018 Regents of the University of Michigan

どうしてミシガン大学は9億9000万円を積んで監督を雇うのか

――国歌斉唱のシーンではそういうことを意図しながらカメラを回していたんですか?

想田 いえ、それは僕の個人的な解釈であり感じ方です。観察映画はあくまで撮影したものを提示して、解釈は観客に委ねています。ただ、意味というか視点を編集によって示すようにはしています。たとえば年俸9億9000万円のウルヴァリンズのジム・ハーボー監督がテレビ向けのコメントを撮るシーンの後に、厨房で皿洗いをする有色人種の人たちのシーンに切り替えることで、アイロニーを出すとか。

(C)2018 Regents of the University of Michigan

――監督の年俸もそうですが、ビッグハウスを中心に回るお金の話もずいぶん登場しますね。ミシガン大学の学長の寄付金を募るスピーチ、年間6万1000ドルを支払わないと入れないVIPルームで観戦を楽しむ富裕層。

想田 お金が見え隠れする話題は、主に僕が撮影しました。ミシガン大学は州立ですが、予算のうち州からの助成金は16%しかないんですよ。日本の公立大学の常識からはちょっと考えられない少なさでしょう。なので、大部分を賄うために大学は寄付金を調達しなければならないんです。その鍵を握るのがビッグハウスを本拠地とする「ウルヴァリンズ」。聞けば、チームが弱くなると寄付金がガクッと少なくなるらしい。それほどに、チームの存在は大学にとって「経営的」に重要。ですから、強くあるために9億9000万円を積んで監督を雇い、VIPルームを利用してくれる富裕層をお客さんとして囲うことに力を入れているんです。

(C)2018 Regents of the University of Michigan

――他にもゲームの放映権もあるし、巨大なビジネスの世界でもあるわけですね。

想田 はい。ところが、チームを構成し、勝つことを使命づけられている学生はプロではないので、選手としての給料をもらっているわけではないですよね。そこに大きな矛盾というか、歪みが見えてくる。歪んでいるんだけど、それが大学教育や奨学金システムを支えてもいるわけで、一概にその構造や、VIPルームで垣間見られる格差社会を単純に悪いとも言い難い状況があるんです。そういう意味でも、お金の話はちゃんと観察して描きたいと思っていました。

(C)2018 Regents of the University of Michigan