YouTube登録者数35万人超を誇るインフルエンサーのYunaさん(28)。日本、中国、アメリカで過ごし、3か国語を操る彼女は、一見すると華やかな経歴の持ち主だ。
しかし、幼少期は複雑な家庭環境で育ち、20歳で母親と絶縁する。また、異国で文化や言葉の壁にぶつかり、自分の存在意義を見失った彼女は“荒れた学生時代”を過ごしたという。
Yunaさんはいったい、どんな子ども時代を過ごしたのか。さまざまな困難に直面しながら、どのように乗り越えてきたのか——。著書『北京・ハワイ・LAに移住してたどりついた どんな逆境もホームにする生き方』(KADOKAWA)を上梓した彼女に話を聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)
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妹のほかに、6人の異母きょうだいが…複雑な家庭で育った幼少期
――Yunaさんは日本、中国、アメリカの3か国で暮らしたことがあるんですよね。
Yunaさん(以下、Yuna) そうです。父も母も国籍は中国なのですが、私が生まれた頃は父が日本で仕事をしていたので、6歳までは日本に住んでいました。
両親からは「そのうち中国に戻る」と言われていて、その言葉通り、小学校入学と同時に中国に行くことになったんです。そこからしばらくは北京に住んでいたのですが、その頃には、父と母の関係が修復不可能な状態になってしまって。
私が10歳のとき、父のことを諦めた母と一緒に、母の親族のいるハワイに移住しました。大学卒業まではハワイで過ごして、就職と同時にロサンゼルスに引っ越して。2024年5月に日本に戻ってきました。
――「父と母の関係が修復不可能な状態」になったのは、なぜでしょうか。
Yuna うちの家は、“表向き”は父と母、私と妹の4人家族です。でも父には、母以外にも複数の女性がいて。だから私は妹のほかに、6人の異母きょうだいがいます。
「あなたの夫は、ほかにも女と子どもがいる」と母宛に電話が…
――その事実は、小さい頃から知っていたのですか?
Yuna 私が小学生の頃、知らない電話番号から母宛に「あなたの夫は、ほかにも女と子どもがいる」と電話がかかってきたんです。それで父の女性関係を知りました。
きっといろんな家庭を渡り歩いていたんでしょうね。「私のお父さんは、日によってパートナーや子どもをとっかえひっかえしている、シェアオフィスを擬人化したみたいな人なんだな」と思っていました。
――家にもあまりいなかった?
Yuna 日本に住んでいるときから、父とは一緒に住んでいなくて。週に1回泊まりに来る程度でしたね。北京に行ったあとも父とは別々に住んでいましたし、会う頻度も多くありませんでした。