「あいつ日本人らしいぞ」北京で移住後、同級生にイジメられ…
――3か国で暮らしたからこその苦労も多かったのですね。
Yuna 両親が中国人なので、日本にいたときからなんとなく中国語を聞き取ることはできました。だから北京に引っ越したときも、同級生との会話で大きく困ることはなかった。
でも当時は、いま以上に反日教育がすごかったのもあって、「あいつ日本人らしいぞ」という理由でいじめられて。両親が中国人の私は生粋の中国人なのに、おかしな話ですよね。
生まれ育った大好きな街やそこに住む人達の悪口を毎日のように言われたり、「日本から来た」という自分の力じゃどうしようもない理由でいじめられたりするのは、ものすごくしんどかったです。
ただ負けず嫌いな性格だったから、子どもなりに試行錯誤して少しずつ友達と呼べる子が増えていって。気がついたら、クラスをまとめるリーダーになっていました(笑)。
中学時代は同級生や先輩と喧嘩を繰り返していた
――北京に住んでいたのは6歳から10歳までなんですよね。
Yuna もともと日本から中国に渡った理由は、父と母が正式に結婚するためでした。でも、仕事が忙しいうえに、うちのほかにも複数の家庭を持っていた父は、結局私たち家族のもとには戻らなかった。
私が10歳のとき、やっと母は父と離れる決意をして、それと同時に北京も離れることになったんです。それから大学生までは、母の親族がいるハワイに住んでいました。
――ハワイでの学生時代、特に中学時代は荒れていた時期もあったそうで。
Yuna 荒れていたといっても、大したことはしていないんですよ(笑)。ただ、複雑な家庭環境に思春期が重なって、いつもイライラしていて。いま考えたら、本当に些細なことで同級生や先輩と喧嘩を繰り返していました。
――どんな喧嘩をしていたのでしょうか?
Yuna 敵対するグループの子たちと、殴り合いの喧嘩をしたときもありましたね……。ただ私は、よく喧嘩をする一方で、学校では先生や事務員さんのお手伝いを積極的にしていたんですよ。
普段から大人と仲良くしていたから、ひどい喧嘩になりそうなときは相手より先に学校に報告して、停学や休学は免れていました。
無鉄砲に喧嘩はするけど、大人には気に入られようとする。一見矛盾しているかもしれませんが、両親に頼れない私が異国の地で生きていくために、必死で編み出した生き方でした。
撮影=細田忠/文藝春秋
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