YouTube登録者数35万人超を誇るインフルエンサーのYunaさん(28)。日本、中国、アメリカで過ごし、3か国語を操る彼女は、一見すると華やかな経歴の持ち主だ。
しかし、幼少期は複雑な家庭環境で育ち、20歳で母親と絶縁する。また、異国で文化や言葉の壁にぶつかり、自分の存在意義を見失った彼女は“荒れた学生時代”を過ごしたという。
Yunaさんはいったい、どんな学生時代を過ごしたのか。さまざまな困難に直面しながら、どのように乗り越えてきたのか——。著書『北京・ハワイ・LAに移住してたどりついた どんな逆境もホームにする生き方』(KADOKAWA)を上梓した彼女に話を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)
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高校1年生のときに先輩と殴り合いをして停学処分
――ハワイで過ごした学生時代には、停学処分を受けたことがあるそうですね
Yuna 高校1年生になってすぐの頃、先輩と校門の前で殴り合いをしてしまって。まだ入学したばかりだったから、先生や職員との関係づくりもできていなくて、初めて停学処分を受けたんです。
停学になったことで「さすがに自分ヤバいかも」と目が覚めて、それ以来、喧嘩をするのはやめました。
――育児放棄気味だったお母さまは、停学に対してどんな反応でしたか?
Yuna 「これはさすがに、私に無関心なお母さんも怒るかも……」と、恐る恐る停学になったことを母に伝えました。でも、母から返ってきたのは、「へー」という反応だけ。怒るでもなく、何があったのか聞くでもなく。
――娘の一大事にもお母さまは無関心だった。
Yuna そうなんです。その一方で、私に対して強く干渉してくることもあって。たとえば、大学進学を考え始めたとき、母が「日本の大学とかいいんじゃない」と言ってきたんですよ。
そのときの私は「いいじゃん! 行きたい!」と思って、日本の大学への進学方法や一人暮らしについていろいろ調べたり、勉強を頑張ったりしていました。
でも、受験直前になったら、母は突然「日本の大学に行くなんてダメだ」と言い出して。