「ずっと寂しかった」中学時代に友だちの家で涙が止まらなくなったワケ

――お父さまがほとんど家にいないなかで、お母さまとはどんな生活を送っていたのでしょうか。

Yuna ハワイに引っ越すまでは、父から充分な生活費をもらっていたので、お金で苦労することはありませんでした。ただ、母は家事をほとんどしない人だったんです。

 基本的にお昼すぎまで寝ていたので、私は物心ついた頃から、母が起きてくるまで部屋に置いてあるお菓子などを食べて過ごしていました。

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 私や妹の幼稚園がある日は、なんとか起きて送ってくれるのですが、その後また寝てしまうから、帰宅時間になってもうちの母だけお迎えに現れない……なんてこともよくありましたね。

 

――当時、寂しい思いもしたのでは。

Yuna ほかの家のことを知らなかったので、特に寂しいとも、うちの家庭が変だとも思っていなかったですね。

 ただ、中学生のときに、友達の家に泊まらせてもらう機会があったんです。友達のお父さんとお母さんが私のことを歓迎してくれて、家族みんなで温かいご飯を食べていたら、なぜか涙が止まらなくなってしまって。

――自分の家との違いに気づいてしまった。

Yuna いま振り返ると、自分で気づいていなかっただけで、ずっと寂しかったんだと思います。

「恋愛は人をダメにする」恋愛面に強く干渉してくる母親

――お母さまは普段は子どもへの関心が薄い一方で、強く干渉してくることもあったそうですね。特に恋愛面に厳しかったとか。

Yuna 中国では「恋愛は早めにするものじゃない」という考えが強いんです。母から「恋愛なんてだめだ」「人をダメにする」と言い聞かせられていたから、私も「恋愛はいけないことなんだ」と思うようになってしまって。

 結局、高校を卒業するまで恋人と呼べるような人は1人もいませんでした。初めて付き合ったのは、大学時代のバイト先の上司でしたね。

 

――「恋愛禁止」だったのは、ご両親のルーツも関係している。

Yuna 中国で「学生時代は恋愛禁止」と言われて育つ子は、日本より多いと思います。ただ、多くの家庭では「勉強に集中できないから」という理由で、子どもの将来のために禁止することが多いように思います。

 でも、うちの母親の場合、子どもの成績にまったく興味関心がないのに、やたら恋愛に関して厳しかったんです。

 おそらく、母が父との間で嫌な思いをたくさんしてきたから、恋愛そのものに嫌悪感を持っていたのかなと。私が恋愛ソングを聞いていただけで、「そんなの聞いて気持ち悪い」と言われたこともありましたからね。