その頃田原は東京12チャンネル(現・テレビ東京)のディレクターを辞めてフリーのジャーナリストになってまだ間もなく、これが初めてのテレビ出演だった。

この番組での田原は政治が専門というわけではなかったが、とりわけ政治に関しては現役の政治家に果敢に論争を挑むスタイルが新鮮で、視聴者を惹きつけた。その評判が、同じテレビ朝日で長寿番組となった深夜討論番組『朝まで生テレビ!』(1987年放送開始)の誕生につながっていく。いわば、『トゥナイト』が『朝生』の生みの親というわけだ。

「政治と性事」などとダジャレ的に並べられたりもするが、『トゥナイト』の魅力は、この硬軟併せ持つことによるところが大きかった。

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根底にある雑誌文化

しかも政治とセックスを同じ高さの目線で扱う。それはいかにも80年代の急速に進む情報化のなかで、すべてが等価な記号として見られるようになった消費社会の反映でもあるだろう。『トゥナイト』という番組には、政治のニュースが高尚で性風俗の情報が下劣といった堅苦しい序列を破壊するパワーがあった。

そこには雑誌文化のもたらした影響もあるだろう。

司会の利根川裕は中央公論社(現・中央公論新社)の元編集者で『婦人公論』などに携わった。番組では司会進行に徹しあまり持論を語ることはなかったが、落ち着いた物腰で時に語るコメントには教養の高さがにじみ出ていた。

『トゥナイト2』の司会である石川次郎は平凡出版(現・マガジンハウス)の元編集者。『平凡パンチ』『POPEYE』など若者向け雑誌の編集に携わった。司会のオファーを受けた石川は、マスを相手にするテレビとかつて100万部以上の売り上げを誇った『平凡パンチ』を重ね合わせ、雑誌感覚で司会に臨んだ(『【昭和・平成】お色気番組グラフィティ』)。

その結果『トゥナイト2』は、同じ元雑誌編集者でも担当した雑誌の性格の違いを反映し、『トゥナイト』に比べてよりカジュアルな情報番組としての色彩を強めることになった。そうした深夜番組のカジュアル化は、もっとお色気に特化していたが飯島愛、イジリー岡田などが出演した『ギルガメッシュないと』(テレビ東京系、1991年放送開始)にも共通する。時代がそれを求めていたのである。