恐怖症のように母を拒絶するように

 1年浪人の末、後期試験で合格した和歌山大学に進学。1年生時は様々な授業に出席し、やる気を見せていた。しかし生活の面では共同生活が合わず住んでいた寮から逃げ出してしまう。

大学時代の大木容疑者

 2年生の時にほとんど大学に通えなくなった。親に内緒で大阪市内に部屋を借りバイト生活を送っていた。母が居場所を突き止めて訪問するとまるで恐怖症のように母を拒絶するようになっていたという。

「正月にはおばあちゃんのとこに滉斗がいるっていうから好きなもの持っていってあげたんよ。そしたらお化けを見たときみたいにパニックになって息子に突き飛ばされてしまいました。私が本当に怖かったらしい」

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 母を避ける行動はただの反抗とは言えないほどにまでなっていた。

 3年生の途中から休学。知人に紹介してもらい、姫路にあるという働き口に就職するために新生活の準備をする大木は最後に母親への手紙を書いていた。そこに書かれていたのは「孤立に向かっていく」という彼の選択だった。

〈この4年間でいろんな人を見ていく中で、「他人が自分の選択に関与して結果がどう転んでもその他人は責任など取ってくれないこと」また「一人になってもそれなりに生きていくだけなら何とかなる」ということを悟ったので、あなたの元をしばらく離れようと思います。〉

〈ようやく手に入れた私の平穏をどうかそっとしておいてほしいのです。〉

 しかしこうも綴られていた。

〈あなたがある形の愛情を持って接してくれたことは認識しているつもりです。今は能力的にも金銭的にもそれには及びませんが、何らかの形で恩返しできればと考えています。〉

〈あらゆることは時間が解決してくれることを切に願っています。〉 

 息子から母へ最後の連絡となった手紙には別れの言葉と、感謝も綴られていた。