「この野郎、こんなもんですむかッ!」力道山に殴られたボーイが大けがで入院して…

 力道山は、酒乱の気があり、酒を飲むと見境がなくなった。さまざまなところで暴れまわった。なにしろ、空手チョップを得意技にしている。力道山にやられたら、命を落としかねない。

 かつて、酔っ払った力道山がラテンクォーターでも大暴れし、止めに入ったボーイを殴りつけるという事件が起こったことがあった。

 翌日、相撲界からプロレス界に転向し、レフリーとして活躍していた九州山が、力道山とマネージャーを連れて、野上宏らのところに詫びにやってきた。

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 九州山は、パイナップルなど果物の折り詰めを差し出し、責任者の高原重吉に謝った。

「昨晩は、申し訳なかった」

 野上は、カチンときた。なにしろ、力道山に殴られたボーイは、入院し、全治1ヵ月と診断されている。折り詰めを突き返すや、九州山らを怒鳴りつけた。

「この野郎、こんなもんですむかッ!」

 九州山は、力道山の後見人であった明治座社長の新田新作に泣きついた。野上は知らなかったが、新田と吉田彦太郎は顔見知りであった。

 結局、新田が仲立ちに入り、築地の料理屋で手打ち式がおこなわれた。野上も、末席に座ることを許された。ただし、今度は親分同士の話し合いなので、口をはさむことはなかった。会話の内容も、よく聞こえなかった。

 そのときは、話し合いの結果、力道山がボーイに見舞金を渡すことで手打ちとなったのだった。

“日本一の右翼”と言われた児玉誉士夫 ©文藝春秋

「もう乱暴してはいけないぞ」力道山が児玉に口答えできないワケ

 町井の訴えを聞いた児玉は、苦笑いを浮かべた。

「わかった。じゃあ、リキ、手を出しなさい」

 力道山も、さすがに児玉が相手では口答え1つできない。鍛え抜かれて筋肉の盛り上がった腕を、素直に児玉に差し出した。

 児玉は、諭すようにいった。

「いいか、もう乱暴してはいけないぞ。この手は、2度と使ってはいけないよ」

 児玉は、力道山の太い腕に、包帯を何回も巻きつけた。右翼の大立者にも、こういう茶目っ気のある一面があった。

 児玉にそのようなことをされて、力道山は恐縮したようであった。

 数ヵ月後、町井に連れられて児玉に会いにきた力道山は、児玉の顔を見るなり、背中を少し丸めながら腕を差し出した。

「このとおり、あのときの包帯をまだ使ってます」

次の記事に続く 「日本の英雄が、じつは日本人ではなかった」“朝鮮出身の素性”を隠す伝説のプロレスラー・力道山の韓国行きを、“日本一の右翼”児玉誉士夫が手助けした経緯

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