「狂っているように見せずに狂っていく、狂っているゆえに美しく見える。これは大原さんしか出来なかったでしょうね。ある意味、彼女の人生そのものだったようにも思えてきます。(中略)どんな役でもこなせる器用さはなかったけれど、自分に合う役を演じた時は本当にすごかった。存在感で勝負する女優だったんですね。緊張感のある美しさというか、さわるとすぐに壊れちゃいそうな美しさを感じました」(朝日新聞・8月10日夕刊be[週末の別冊版])

 まさに大原にふさわしい「送る言葉」である。

お別れの会には元夫の渡瀬恒彦、森進一も参加

 8月23日には青山葬儀所(東京・港区)で「お別れの会」が営まれ、森光子(1920-2012)、浅丘ルリ子、渡辺プロダクションの名誉会長・渡辺美佐、テレビプロデューサー・石井ふく子、故・美空ひばり(1937-1989)の長男・加藤和也ら関係者約400人が別れを惜しんだ。じーんと胸に迫ってきたのは親友・浅丘の言葉である。

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「あまり遺影は見られません。まだ自分の心の中で整理ができていませんし、私は麗子に怒っています。でも、一番嬉しかったのは、渡瀬(恒彦)さんと森(進一)君が来てくれたこと。本当にみなさん優しくて、こういう形でお別れ会ができて良かったと思っています。あちらに行っても、みんなに可愛がられて、憎まれ口をきかないで、ちゃんとみんなと一緒に仲良くしていただきたいです」

決して孤独ではなかった大原さんの人生 ©文藝春秋

「お別れの会」には元夫の渡瀬と森の2人も参列した。「孤独死」だったが、最期は多くの人に見送られ、決して孤独ではなかった。その麗しい姿は、永遠に語り継がれるだろう。

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