そんな公園の中から、ひときわ高くそびえるタワーが見える。現在は横浜薬科大学の図書館棟、ドリームランド時代には「ホテルエンパイア」といった。1965年に完成したというから、その当時は数少ない高層ビルだったのだろう。

 

 最頂部までの高さは約90m、地上21階のてっぺんには回転展望レストランまで設えられていた。ただでさえ周囲を見下ろす丘の上、そこからさらに90mも天を貫く高層ホテル。ドリームランド創業時の勢いのようなものを感じさせる。

 が、時が流れていまも残るドリームランド時代の痕跡は、ホテルエンパイア転じて横浜薬科大図書館棟くらいになった。学生や大学関係者でもなければ入ることができないが、遠くから見る高層ビルは、かつてここに夢の国があったんだ、と強く主張しているような、そんな存在だ。

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周辺に残っていた「夢の続き」

 もう少し、横浜ドリームランド跡地の周りを歩く。すると、実際のドリームランドそのものの痕跡とは違うが、夢の続きはまだまだ周囲に残っていた。そのひとつが、ドリームランド跡を囲むように並んでいる団地である。

 

 この団地は県営と市営に分かれていて、その名はどちらも「ドリームハイツ」。ドリームランド開園から8年後、1972年に入居を開始した昭和の団地だ。もちろんいまも現役で人が暮らしていて、路線バスの終点の名も「ドリームハイツ」という。

 

 いくつもの住居棟が並ぶドリームハイツの一帯をうろうろと。ところどころに小さな公園があったり、古い商店が狭い一角にぎゅっとひしめくところがあったり。

 郵便局の名が「横浜ドリームハイツ郵便局」だったり、他にも「ドリーム」を冠する建物がちらほらと。いずれもドリームランドから派生したドリームハイツ、そしてその中の施設、ということなのだろう。

 日本が右肩上がりの絶好調だった時代、横浜の高台に生まれたドリームランド。その周りには、当時夢の住まいだった団地が生まれ、活気が活気を呼んだ。周囲を見下ろす丘の上の遊園地と夢の住まい。昭和40年代は、そういう前向きな期待の中で、この一帯の開発が進んだのだ。

 

 こうして夢に満ち満ちたドリームランドとドリームハイツだったが、いちばんの欠点は交通の便の悪さだろう。いまでも駅に出るにはマイカーを除けば路線バスしか手がないし、丘の上というのは見晴らしは良くても歩くとなれば都合が悪い。