本家のディズニーはそれに対し…
もちろん、そんな和製ディズニーランドを本家のディズニーが許すはずもなく、ウォルト・ディズニーの逆鱗に触れたらしい。が、まあそれはそれ。商標権やら何やらといった法制度やその理解が未熟に過ぎたひと昔もふた昔も前、発展途上の日本の物語である。
ときはあたかも東京オリンピックを目前に控えた成長期真っ只中。ドリームランドは、文字通り夢の世界として受け入れられ、来園者は毎年100万人ほどだったとか。のちの東京ディズニーランドとは比ぶべくもないけれど、その時代にあってはなかなか人気の遊園地……テーマパークだったのである。
しかし、そんな夢の国も1983年にホンモノの東京ディズニーランドが開園すると、それを機に徐々に衰退していった。カリスマ創業者だった松尾國三は1984年にこの世を去り、1990年からは当時絶好調だった小売り大手のダイエー傘下に入る。
が、バブル崩壊後の長引く不況による来園者の激減、そしてダイエーの経営難も手伝って、2002年に横浜ドリームランドが、2006年に奈良ドリームランドが閉園してしまった。
オープンの当時は「和製ディズニー」ともてはやしたメディアも、最後は「お隣遊園地」。かつての夢の国は昔ながらの昭和の遊園地として幕引きしたのであった。
横浜ドリームランドの跡地には何がある?
横浜ドリームランドがあったのは、横浜市の南西は戸塚区の丘の上。直線距離でいうなら小田急江ノ島線の湘南台駅や六会日大前駅が最寄りだが、歩ける距離とは言い難い。いわば鉄道空白地の山の上。周囲を見下ろす場所にあるから、歩くにしたって急坂は避けられない。
戸塚、もしくは大船の駅前からいまでも路線バスがひっきりなしに出ているから、それに乗るのがいちばんといったところだろうか。バスに乗り込んで、横浜郊外のベッドタウンを抜けてだいたい30分ほどでドリームランドの跡地に着く。
ドリームランドの跡地は、まるごと俣野公園、そして横浜薬科大学のキャンパスに生まれ変わっている。
公園の中にはメモリアルグリーン、つまり霊園もあって、少なくともドリームランド時代の面影はまったく消え失せているといっていい。公園の中をひとしきり歩き回ってみたけれど、もちろん遊具などが残されているはずもなかった。