東京ディズニーランドが開園したのはいまから42年前、1983年4月であった。
さすがに当時どんな期待感を持って受け止められていたのかはよくわからない。ただ、開園から1年弱で来園者1000万人を達成していたのだから、まあなかなかの盛況ぶりだ。そんなこんなで、いまに至るまで40年以上も日本のテーマパークのトップに君臨し続けている。
ところが、である。日本人が「ディズニーランドオープン」の報に接したのは、1983年が初めてではなかった。
それから遡ること20年ほど前のこと。1961年には奈良に、1964年には横浜に“ディズニー”がオープンしたのだ。その名も、ドリームランド。奈良と横浜に、それぞれドリームランドという名の遊園地というかテーマパークがオープンしたのである。
ドリームランドと名乗っておきながら何がディズニーだ、などと言われるかもしれない。が、創設者の松尾國三は自ら、また部下たちもアメリカ・ロサンゼルスの本家ディズニーランドを視察して研究を深め、明確に本家ディズニーを手本に……というか模倣してドリームランドを築きあげた。
松尾本人も、「人口300万しかいないロサンゼルスでも成り立っているディズニーランドが、日本で成り立たないはずがない」などと語っていた。さらにそれどころか、当時のメディアも「ディズニー」と煽っている。
「夢のランド」はどんな場所だった?
たとえば、横浜ドリームランド開園の構想を伝える読売新聞の記事には、「ディズニーランドや野球場」と大きく見出しを刻んでいる。
実態としては、現代の人がイメージするようなディズニーランドとはまったくかけ離れたものだったようだ。先行した奈良ドリームランドには和式結婚式場やサムライの仮装行列、フラダンス。横浜ドリームランドに至っては、ディズニーだけでなくデンマーク・チボリ公園の要素が多く取り入れられている。
それでも、ロスのディズニーランドを訪れたことがある人などほとんどいなかった当時の日本人。彼らにとって、「ディズニーランド」とは紛れもなくドリームランドのことだったのだろう。