「紀伊國屋じんぶん大賞2025」で2位に輝いた『センスの哲学』の著者であり、哲学者・作家の千葉雅也さん。同賞3位、そして見事「新書大賞2025」を受賞した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者である文芸評論家の三宅香帆さん。話題のお二人が2025年の展望を語り合った初の対談を『文藝春秋オピニオン 2025年の日本の論点100』より転載してお届けします。

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読書におけるハレとはなにか?

千葉 ところで話はとぶようですが、ここで三宅さんの『なぜ働いていると~』にも引きつけて、読書におけるハレを考えてみたい。最近、『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』という本がちょっと話題になりましたよね。『走れメロス』を初めて読んだ人が、いちいちものすごく感動する。本といえば実用書という今の時代、そこでは非実用書である小説にハレとして出会い直すみたいなことが起きているわけです。

千葉雅也さん

三宅 あと、2024年は『百年の孤独』が文庫化されてすごく売れましたよね。『百年の孤独』に挑戦すること自体がハレの体験になっているというか、「体験としての読書」を買い求めているところがあるかもしれないと思いました。

千葉 文豪の表紙を今風に変えるのも同じですね。ただ放っておくだけでは売れなくなっている名作というノイズとどう出会わせるか、その回路の作り方が大事になっている。

三宅 ノイズをもたらすものとしてのハレの日といえば、私にとっては村上春樹さんの新刊発売日がそうです。村上さんの小説を読むと、「行きて戻りし」の物語構造ではないですが、現実とは違う世界に入り込み、価値転倒を通過して帰ってくる感覚があります。「ハレとしての読書体験」は、日常の文脈と異なるノイズの渦に入る瞬間でもある。