自死を決意した友人・マーサとの最期の日々が描かれる
やがてマーサは、イングリッドにある決意を打ち明ける。がんの治療を続けてはきたが、これ以上の苦しみに耐えながら寿命を先へ伸ばすのではなく、自らの意志で非合法とされる薬を飲み、自身の手で死を迎えるつもりなのだと。そして“その日”に、イングリッドにそばにいてほしいのだと。イングリッドは逡巡するも、やがてマーサの決意を受け入れ、その最期のときをマーサとともに過ごすことを決める。マーサが借りた小さな森の家で暮らしはじめるふたり。マーサは自身の死の合図を告げる。「(自室で)ドアを開けて寝るけれど、もしドアが閉まっていたら、私はもうこの世にいない」。そしてマーサの最期の日々がはじまる――。
本作はその多くが、マーサとイングリッドの会話のシーンで占められている。その中では間もなく死に対峙するという前提もあってか、マーサの死に対する思いや、人生観について会話で触れられることもしばしばだ。
その中で強い印象を残すのは、マーサの主張の一貫性である。中盤以降、「苦痛と屈辱の最期」を迎えることを拒み、自身が「上質な死」を得ることを主張する彼女は、最後までその主張を覆すことはない。作中では、自身が死を迎えるための薬を見失ったマーサに対し、薬が見つかったのちにイングリッドが「まだ“その時”ではないという合図なのかも」と口にするシーンがあるが、マーサはその際、「そんなことは言わない約束よ」ときっぱりと口にする。イングリッド自身は、マーサが生き続けることを友人として望んではいたものの、やがて声高な肯定こそないものの、マーサの決意を静かに受け入れるようになっていく。こうした過程を通して、意志の強さに恵まれたマーサ、控えめながらも愛情深いイングリッドというそれぞれのキャラクターもまた浮き彫りになっていくのである。
すがすがしい気品が感じられるマーサの死
マーサのキャラクターはなかなかに魅力的である。窓の外に降り積もる雪を見てジョイスの『死者たち』の一節を口ずさみ、また自宅に置く写真や絵画といった、素人目にもその洗練度が伝わってくるさまざまなインテリアから、彼女が知性や教養、センスの高さに恵まれた人物であることが伝わってくるし、彼女の人生哲学の強さについてもまた然りである。かつては戦場ジャーナリストとして世界中を飛び回り、戦火のイラクを訪れるようなこともあったマーサだが、彼女は自身の仕事に従事する中で、「女であること」をやめたことを口にする。それは強靭さが求められる、ジャーナリストという仕事に適合するうえでの選択だった。そのような発言に芯の強さを感じるいっぽうで、戦場での恐怖を紛らわせるために、セックスに没頭したことを笑いとともに振り返るなど、ユーモアの面でも恵まれた人物であることも伝わってくる。マーサは身体こそしだいに病魔に侵されていくものの、話す内容は総じて明快で、その言葉には節々に光が感じられる。やがて“その日”を迎え、自らの意志で死出の旅へと向かうマーサだが、黄の上質なコートを身に着け、赤い口紅を塗った彼女の姿もまた、すがすがしい気品を感じられるものだ。

