「ただ書き写すだけだったら、スマホで黒板の写真を撮って終わりにすればいい。でも、どこか間違っているところはないかと思って考えながら書き写していくと、自然と頭に入ってくる」
黒板に書いてあることを正解として受け入れて、ただそれをノートに写すことを「勉強」と呼ぶことが多く、黒板に書いてあることが間違いだなんて思わない生徒も多いでしょう。
しかし、「もしかしたら間違っているんじゃないか」「これは本当に正解なんだろうか?」と疑いながら書き写していくやり方では、自分の頭で考えることが必要になります。スマホで写真を撮るように書き写すのではなく、しっかり自分の頭で考えながら進める学習方法にこそ意味がある、ということを伝えていたシーンだったわけです。
「自分で考えて」という態度を崩さない
そしてそのスタイルは、御上先生が作中で生徒と向き合う姿勢にもずっと一貫しています。例えば第4話では、文化祭の出し物について御上先生が生徒に対してコメントするシーンがありますが、その時にこんなやりとりがありました。
生徒「じゃあどうしろっていうんですか」
御上先生「ぼくに指示出されたい? イヤだよね」
このようなやりとりはこの場面だけでなく、多くのシーンでずっと一貫していて、御上先生は生徒から答えを求められると「考えて」と返します。ただ答えを教えるのではなく、生徒に答えを「考えて」と指導する態度を決して崩さないのです。
このようなシーンを見て、みなさんはどう感じるでしょうか? 僕は教育監修として制作に携わっている側にいるものの、あくまでもいち視聴者として御上先生を観返すたびに、学園モノにも「ティーチングからコーチングへの転換」が反映されているのではないか、と感じます。
「ティーチング」とは、先生が生徒に対して勉強や答えを教えるスタイル、金八先生・GTO・ごくせんで見られたやり方のことです。それに対して「コーチング」は、先生が生徒に対して直接勉強や答えを教えるのではなく、生徒が自分で答えを出せるようにサポートすることを言います。教育におけるこの大きな転換を、このドラマから見て取れるし、学べるのではないか、と思います。