権力者による社会主義vs自然発生的な株の持ち合い
成田 その特性を究極まで推し進めていくと、すべての株をみんなで共有しようという考え方に辿りつきますよね。すべての株式を株式会社を社会全体、あるいは国全体で持った上で、みんなにベーシックアセット的に配ってしまう。株式資本主義と社会共産主義の融合で、かつて「シェアエコノミー」という名で提唱されました。そういう構想はどう思われますか?
前澤 結局そういう構想を実現しようと突き詰めていくと、社会主義とほとんど変わらなくなってしまうというジレンマが生まれるんですよね。一部の権力者がシェアエコノミー的なシステムを作って国家や社会を動かそうとすると、社会主義的なものになりかねない。だから僕はあくまで市民一人ひとりが主体的に参加して、自然発生的に生まれるのを理想としていますね。
成田 昭和前後の日本の大企業にはそういう雰囲気がありましたよね。ボーナスの仕組みは業績連動給のようなものなので、会社の業績や株価の上下を社員(=労働者)全体で共有する仕組みだと捉えることもできます。一番うまくいっていた頃の日本企業は労働者と資本家の融合、国民総株主に近い何かを自然発生的に起こせていたと考えられるのかも、と。今の日本にはその面影もありませんが。
前澤 今回、カブアンドの事業を始めるにあたって日本の株主の歴史を調べてみたら、戦後まだまもない頃、個人投資家比率が約7割だった時代があったと知りました。財閥や政府が保有する株式を個人に持ってもらう「証券民主化運動」の影響が大きかったみたいですが、みんな株を持ち切れずに売却してしまった。今のように投資教育もなければ啓蒙活動もなかったので、長期保有の考えが根付いていなかったんですね。
そんなわけで7割もの国民が勝手に株を持たされたものの、多くは売却して現金化された。他方で株の流動性が高まったので盛んに買い占めが行われて、会社同士の株式持ち合いが始まって今に至るという流れがあったらしいんです。
成田 日本の株式市場って100年くらい遡ると今とはまったく違う景色ですよね。たとえばM&Aひとつとっても、大正の頃は敵対的M&Aの嵐でハゲタカ資本主義の戦国時代みたいだったようです。そうでなければあんな財閥みたいな存在が半世紀やそこらで生まれるはずはありません。だから私たちが「日本っぽい資本主義」だと思っているものは実はだいぶ若く、敗戦後に形作られたと考えるべきだと思ったりします。いわゆる日本的雇用慣行も同じです。DNAでも古来の文化でもなんでもない。
前澤 僕なんかより何十年も先のことを考えられているんですね。
成田 いえいえ、私は実務に完全無力な人間なので。前澤さんが今ここの社会を変えようとしてる一方、私は100年後ぐらいの社会を一人で妄想するというすごく虚しく悲しいことをやってるだけです(笑)。
前澤 どういう妄想なんですか?