授業料値上げに反対する学内の声とは裏腹に、世間からは、逆に、「裕福な家の恵まれた人たち」がより多く負担するのは当然、と思われてもやむを得ない。
こうしたイメージが、双璧をなす京大にも横滑りしているのではないか。
あらゆる面で「恵まれた人たち」なのか
実際の京大生は、東大生とは違い、地方公立高校出身者が多い。
「サンデー毎日」2024年4月7日号のまとめによれば、京都大学合格者の出身高校のトップは大阪府立北野高校であり、トップ10は、私立と公立が半々、25位まで広げると過半数にあたる14校が公立高校だ。世間で思われているほどには、京大生は均質化していないように見える。
それでも、公立=課金ゲームから無縁、というわけではないから、幼少期から受験勉強に注力した人もいる。そうしたことから、難関国立大学をめぐる捉え方は、それぞれの大学の違いを見るのではなく、逆に、一緒くたに捉える方向に作用しているのだろう。
慶應義塾大学の伊藤公平塾長(=学長)は、国立大学の学費を年間150万円に値上げするよう提言し、波紋を広げた。
私立大学からは、国立の学費は安過ぎる、と見られ、逆に、国立大学の学生からは、学費の値上げは受け入れられないとの声が上がる。
東京大学と京都大学の学生の違いは、それぞれの大学のなかにいればわかるかもしれないが、外からみれば、裕福な家庭、学習環境、能力といったあらゆる面で「恵まれた人たち」と見えるのかもしれない。
世間が、東大や京大などの難関国立大学に向ける視線は、厳しい。
外から見るのか、内側にいるのか。立場によって、国立大学をめぐる視線は、正反対なのである。お互いに真逆の方向を見ている、この状況が、何をもたらすのか。受験シーズンの真っ只中に、あらためて考えたい。
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
