「二度と帰ってくるな、この金食い虫!」母親に虐待されて実家から逃走

――そしてお母さんの虐待はエスカレートしていく。

松尾 小学4年生の頃、給食費をもらおうとしたタイミングで母がヒステリーを起こして。その時はすごかったです。電気コードのコンセントで顔をバーンと叩かれて。コンセントの先の金属の部分が頭に当たって結構痛くて、目がチカチカしました。

 いつもなら一度叩かれたら終わるんですが、その日は何回も続いて。「今日はやばい」と思って裸足で家の外に逃げました。

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 母は後ろから追いかけてきて「二度と帰ってくるんじゃないぞ、この金食い虫」と叫びながら、手に掴んだ小銭とランドセルを私の背中に投げつけました。私は外で泣きながら、どこかで母が追いかけてきて連れ戻してくれたらいいなと思ってたんですが、それもなくて。もうだめだと思って隣の家に逃げました。

 そのお家の方が学校に通報して、担任の先生のご自宅に一晩お世話になりました。先生の家では、ほかほかの炊きたてのご飯が出てきて。我が家では電気代がもったいないからと炊飯器のコンセントはすぐ抜いてしまい、いつも冷たいカピカピになったご飯を食べていたので「すごいな、こんないい暮らしがあるのか」って感動しました。

「問題行動を起こす人が偉い」児童養護施設で感じたヒエラルキー

――そして学校から児童相談所へ連絡が行き、松尾さんは児童養護施設に入られます。どんなところだったんですか。

松尾 キリスト教系の児童養護施設で、高校卒業までの8年間いました。当時は100人以上の子どもがそこで暮らしていました。みんなそれぞれ事情があって養護施設に入っているんですが、なぜ施設に入ったのかは言わないんですよね。話したところで、その境遇が変わることはないので、子供たちなりの諦めだったのかもしれません。

 私はどちらかというと陰キャでおとなしいタイプだったんですが、施設の子どもたちの中では問題行動を起こす人が偉いという逆のヒエラルキーがありました。万引きは当たり前で、学校の先生に歯向かって椅子を投げてみたり。私はそういう不良になる勇気もなかったので、ヒエラルキーの下にいる感じでした。

 

――現実逃避したくなりませんでしたか?

松尾 私の場合は勉強をすること、あと日記を書くことが現実逃避でした。10歳の頃にディズニーランドにボランティアで連れていってもらって、そこで買ったドナルドダックの日記帳がすごく可愛くて。しかも鍵付きだったので何を書いてもバレないので、あの子が気に食わないとか恨み辛みを書いてました。

 日記以外にも私は卓球部に入っていて、週3日は割と厳しい練習をしてました。残りの日はブラスバンド部に入って、トランペットをやっていましたし、中学の途中から英語の勉強がだんだん楽しくなってきたので、現実逃避する手段がいっぱいあったのはよかったです。