先生の遺品の中に、黄ばんだ新聞の切り抜きがありました。先生本人が書いたり取材を受けたりした記事以外で保存されていた切り抜きは、この1点だけです。古すぎていつのものかもわからないその記事は、演劇評論家の戸板康二氏が日本画家の小村雪岱(こむらせったい)について書いたコラムでした。そこには雪岱が早くに生母と別居して親類の家で育ったこと、雪岱の美人画のモデルは幼い頃に見た母親の顔だと本人が語っていることが書かれていました。
アンパンマンに出てくるキャラクター、ドキンちゃんの外見は母の登喜子さんに似ているとやなせ先生は書いています。雪岱の境遇と母への思いが創作に与えた影響について、自分と共通するものを感じておられたのかもしれません。
やなせ先生は、アンパンマンが幼児の心をとらえる理由を聞かれて、自分にもよくわからないが、幼児期の子どもは母親との一体感の中で生きているので、お母さんがアンパンマンを見て安心やよろこびを感じてくれたら、それが子どもに伝わるのかもしれないと語っています。母という存在は、作家としてのやなせ先生にとっても大きなものでした。
先生が80歳のときに書いた詩に、こんな一節があります。
ひとが生まれるとき
おかあさんはくるしい
涙こぼしてひとが生まれる(「ひとが生まれるとき」より)
どんなお母さんも命がけの苦しさの中で子どもを産み、どんな子どもも、お母さんだというだけで母親を愛します。そのことの重みと切なさを、深く受けとめていた人でした。
この本を書いた理由はもうひとつあります。2019年3月に高知県香美市のアンパンマンミュージアムを訪れたとき、たまたま開催されていた企画展で「アンパンマンのマーチ」の歌詞の手書き原稿を見たことです。
本書に記したように、歌詞の中の「たとえ 胸の傷がいたんでも」の部分は、もともとは「たとえ いのちが終るとしても」となっていました。
衝撃を受けた私は、さらにその後、アニメ化の前に作られたミュージカル「怪傑アンパンマン」の主題歌に「ぼくのいのちがおわるとき ちがういのちがまた生きる」というフレーズがあることを知ります。
いのちはいつか終わるが、それはすべての終わりを意味しない。犠牲をいとわない勇気はすなわち愛で、それはかならず引き継がれていく。だから生きることはむなしいことではない――それはやなせ先生の祈りであり、命に対する態度でした。さびしさ、挫折、愛する人たちの死。それでも光のほうへ向かって歩き続けた先生の人生から生まれた哲学が、アンパンマンの世界を成立させていたのです。
このことに気づいたとき、アンパンマンの深さに改めて思い至りました。そして、自分の顔を食べさせるという、前代未聞、唯一無二のヒーローを導き手として、もういちど先生の生涯をたどりたいと思ったのです。それは、私にとってただ一人の師であるやなせたかしという人と出会い直す旅でもありました。
2025年1月 梯久美子
