3月6日発売の『週刊文春』の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に、恐山菩提寺院代の南直哉が登場。仏道に入った理由から、人生哲学まで語った。

◇ ◇ ◇

 幼い頃から喘息を患い、死について考え続けてきたという南。

ADVERTISEMENT

「喘息で息が吸えなくなり、目の前が真っ赤になる。これが僕の人生最初の記憶です。この真っ赤の次は何があるんだろうと考えていました周りの大人に聞いても、お花畑に行くとか星になるとか、誤魔化すんですよ。親父だけです、正直に言ったのは。『死ねば分かる』と」

 身近に死を感じたこともあってか、「運動会や学校の行事もどこか冷めた目で」見る小学生時代だったという。

南直哉さん ©︎文藝春秋

「今にして思えば、諸行無常みたいになっちゃうんですよね。そんな時、たまたま父に『平家物語』を渡されて。読んで僕が一番感動したのは、平清盛が絶頂から転落していくあの様です。高熱を出し、悲惨な死に方をするのを知って、やっぱりいいことは続かないんだ、と」

 小学4年の時に良い医者と出会い、自分も医者になりたいと一時は思ったが「医者になったって死ぬだけだから意味がない」と思うような日々。そんな中で出会ったのが、ブッダだった。

「でも中学3年の時に『諸行無常』と言ったゴータマ・ブッダという人がいると知ったんです。自分と同じ感覚を持っている人間が他にいると知ったことは、最初の救いでした。その後高校生になり、偶然父の本棚で『正法眼蔵』を見つけて、パラパラめくったら、『仏道をならふといふは、自己をならふなり』という一文が目に入ったんです。自分という存在の根拠について考えていた私にとって、これは自分のテーマじゃないか、と」

 早稲田大学第一文学部で美術史を学び、卒業後は大手百貨店に就職。側から見ればエリートコースを歩んでいたが、本人の中にはどこか違和感があったという。