2月27日発売の『週刊文春』の名物連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」に、昨年ソロ活動30周年を迎えたミュージシャンの奥田民生が登場。インタビューの中から、井上陽水とタッグを組んだ「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」の誕生秘話について語った箇所を抜粋して紹介する。
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阿川 ユニコーンを解散なさった後、井上陽水さんと出会われて。それは陽水さんがユニコーンの「雪が降る町」の歌詞にハッとしたのがきっかけだったと。なんだっけ。♪世の中は〜 色々あるから〜
奥田 ♪どうか元気で〜 お気をつけて〜
阿川 そうそう。この部分を陽水さんが「お若いのに、よくわかってらっしゃる」って(笑)。
奥田 ハハハ。「わかってらっしゃる」ってのもおかしいですよね。それで陽水さんのラジオに呼んでもらったりとかしてるうちに、ファックスが届いたりするようになったんです。俺の歌詞を陽水さんが手書きしたファックスが届くんですよ。
阿川 え? 何それ?
奥田 俺の歌詞ですから、いや、知ってますよって感じなんですけど。「なんで送ってくるんですか」って聞いても「書いたから」みたいな(笑)。で、一緒になんかやろうって話になった。ちょうどユニコーンを解散した頃ですね。
阿川 解散してから、奥田さんがソロ活動を開始するまで、1年ぐらい休養期間があったんですよね。93年から94年ぐらい。
奥田 そうです。でも結局、1年も休まなかったんですよ。途中でもう「愛のために」のデモテープを作り出してますからね。
阿川 ソロ1曲目の「愛のために」。じゃああまり休養してない?
奥田 半年ぐらいは何もせず、釣りにばっか行ってましたね。でもそれも半年ですよ。ちょっと音楽を再開したら、そこから一気にソロ活動に入っちゃったんで。陽水さんは「のんきでいいよね」とか言ってたけど、陽水さんが曲を作ろうとか言い出したから忙しくなったじゃないですかって(笑)。それでキョンキョン(小泉今日子)に、陽水さんと作った曲(「月ひとしずく」)をあげたり。
阿川 で、次がPUFFYですか。
奥田 そうですね。PUFFYは最初、ソニーの事務所に2人別々で入ってきて、たぶん2人とも歌手志望だったんです。で、暇そうな、プロデュースやりたそうな人が一人いるよと。