一か八か出家してみて、ダメならその時死ねばいい
「百貨店に就職したんですが、真面目になりきれないわけですよ。だって、利益を上げたところでどうするの、と。いよいよ自分でもマズいなと思い始め、禅寺に通い始めました。
ある日、そこで度々顔を合わせる中年男と帰りが一緒になって。その男に突然、『会社員をやっても、坐禅をやっても、そこそこのところまではいく。だけど、どちらかにしたほうがいいと思う』と言われたんです。試しにどちらにしたほうが良いか聞いたら、『責任は持たないけど、あんたは坊さんになったほうがいいね』と。そう言われた瞬間、こんなよく知らない男に言われるようでは会社員としてはもうダメだ、と思いました。となると、あとは出家するか、自殺するしかないなと。
このまま死と自己の意味というような問題を抱えていては、いずれ死ぬようなことになる。その前に一か八か出家してみて、ダメならその時死ねばいいだろうと思ったんです」
出家の意思を父に電話で伝えると、返ってきたのは驚きの言葉だった。
「父には電話で『会社を辞めたい』とだけ言ったんです。実際にはもう辞めていたんですけど。すると、黙りこくった末に父が『永平寺か?』と。これにはビックリしましたね。なんでわかったんだろうと。思わず『はい』と答えたら、『お前、坊さんになりたいということか』『そういうことになると思います』『じゃあ誰かの弟子にならなきゃいかんだろ。俺が紹介してやる』と。後々聞いたら、テレビで永平寺の番組が流れた時、私が食い入るように見ていたそうで」
父は知り合いの師匠に「息子がおかしくなった。どうにか止めてほしい」と頼んだそうだが、トントン拍子で出家が決まり、永平寺で修行生活を送るように。
右半身が麻痺したという永平寺での修行や、恐山に移った理由、人間関係や親子関係についてなど、南直哉の人生とその哲学を阿川佐和子が聞き出したインタビューの全文は『週刊文春 電子版』および3月6日発売の『週刊文春』で読むことができる。
