「いかにこの銀行を食い物にしているか」
振り返ってみると、この事件にはおかしなことが多い。告発した人物が逆に逮捕されて有罪になったり、二審では単独犯行と認定された頭取を一審判決が褒めたたえたり……。
「千葉銀行事件」といっても、古荘頭取をめぐっては3つのパートがある。(1)株主の千葉放送会社・古川致知社長との間の恐喝など、(2)政治家との関係と政治献金疑惑、(3)「レインボー」への不正融資――。
三鬼陽之助の「怪談・千葉銀行」(「中央公論」1957年7月号掲載)はこう指摘している。
「千葉銀行の融資先には政党関係者、つまり代議士が多いのである」
「岸総理をはじめ大野伴睦、三木武夫、水田三喜男、一万田尚登、木村篤太郎、岡崎勝男、山村新治郎、中村庸一郎、鈴木仙八、中山貞雄といった自民党のそうそうたる連中が、いかにこの銀行を食い物にしているか……」
そこには、「たかが一介の地方銀行頭取にすぎない」「金融界の外様大名的存在」と評された古荘頭取のコンプレックスと反発もあったとみられる。うわさのレベルだったとしても、不正融資を突破口として、十分国会や検察で追及すべき案件だったはずだ。
それを、おそらく政府与党の中枢は、解散目前という時期的な制約を利用して、国会での追及を打ち切らせて問題を握りつぶした(横銭議員の懲罰もうやむやになった)。検察には「最高検、東京高検側が『政治的な動きを考えても、これ以上は騒ぎを大きくしない方がいい』と発言したことが大きく影響した」(ミノブ釈放時の1958年4月16日付日経新聞朝刊)という背景があった。
北関東の文学少女はなぜ“虚飾の女”になったのか
野村二郎『新版 日本の検察』(1991年)も「一方で捜査を進め、もう一方で妨害や政治的圧力という二正面作戦は、できれば検察は避けたい、というのが本音だろう」と書いている。そうした思惑から、頭取を執行猶予付き有罪判決にしただけで捜査ストップ。代わりに、派手でパフォーマンス好きの女性社長を立件して、目くらましにしたように思える。
「婦人之友」1958年6月号で、政治学者の辻清明・東大教授は読者の質問に「千葉銀行事件が結局うやむやに終わったのは、いつものことながら甚だ奇怪だというご質問には全く同感」と述べた。
翻って、坂内ミノブという女性について考えてみる。戦後解放され、社会進出した職業女性の一面を表していたことは間違いないだろう。ただ、頭がよく社会主義的な理想の世界を夢見た北関東の文学少女を、東京のど真ん中で、金にまみれ、若い愛人を持ち、豪壮な邸宅に住んで衣食住全てに派手な生活を送る、そんな“虚飾の女”に変えたものは何だったのか。時代の変転の中で生まれる魔力というものだったのだろうか。
【参考文献】
▽舟橋聖一『白い魔魚』(1969年、新潮社)
▽三枝佐枝子『女性編集者』(1967年、筑摩書房)
▽安部譲二『欺(だま)してごめん 私が舌を巻いた5人の詐欺師たち』(1993年、クレスト新社)
▽野村二郎『新版 日本の検察』(日本評論社、1991年)
▽石川真澄『戦後政治史』(岩波新書、1995年)
