今回取り上げるのは、地方銀行の頭取が女性実業家に見合わない担保で12億円も融資し、うち4億円あまりを焦げ付かせたとされる事件。1958(昭和33)年、「戦後」から高度成長への転換期、数多くの著名人が登場するこの事件にはどんな時代的意味があったのか。
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する(当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった)。文中いまは使われない差別語、不快語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の2回目/はじめから読む)
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三鬼陽之助の「怪談・千葉銀行」(「中央公論」1957年7月号掲載)は当時の千葉銀行の頭取・古荘四郎彦について詳しい。
それによれば、千葉銀行は当時地方銀行では預金高で13~14位。古荘頭取は、堀久作が社長の日活への融資で型破りの銀行家として有名になり、「地銀王」とまで呼ばれた。
1954年の白木屋乗っ取り騒動でも実業家でのちのホテルニュージャパン社長・横井英樹の背後には古荘と千葉銀行の存在がささやかれた。「怪談・千葉銀行」は「この銀行は貸付に問題があるように思われる」とし、「古荘個人の力があまりに強大なためか、あるいは規約として頭取の独裁が許されているのか、往々にして一般銀行の慣例は破られている」と指摘している。
「“夢”に食われた女」
もう1人の主役、坂内ミノブの経歴は、一審判決が認定した基本データに、逮捕時の1958年3月26日付読売新聞(以下、読売)朝刊の「“夢”に食われた女 ハッタリも強い坂内」という中見出しの記事内容を加えてまとめるとこうなる。