今回取り上げるのは、地方銀行の頭取が女性実業家に見合わない担保で12億円も融資し、うち4億円あまりを焦げ付かせたとされる事件。1958年(昭和33年)、「戦後」から高度成長への転換期、数多くの著名人が登場するこの事件にはどんな時代的意味があったのか。
当時の新聞記事は見出しはそのまま、本文は適宜書き換え、要約する(当時は「容疑者」呼称はなく、呼び捨てだった)。文中いまは使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。(全3回の3回目/はじめから読む)
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「社会貢献」で執行猶予?
のちに「話し合い解散」と呼ばれる衆院解散が1958年4月25日に行われ、総選挙が5月22日に実施された。
投開票目前の5月21日、特捜部は千葉銀行・古荘四郎彦前頭取の任意出頭を求め、特別背任容疑で調べを始めた。同日付朝日新聞(以下、朝日)夕刊の記事は、それまでの取り調べで、坂内ミノブが「銀行をだましたなどとはとんでもない。抵当権解除は事前に古荘氏に伝え、了解を得ていた」と主張したことから、前頭取の容疑が浮上したと説明した。
同じ日付の毎日新聞(以下、毎日)には千葉銀行がミノブから受け取った担保の実際の評価が詳しく書かれている。(1)ダイヤ・真珠などの貴金属、美術品約1500点、約3億8000万円は約5分の1、(2)繊維品約2億円は7分の1、(3)土地・家屋などの不動産約4億円は10分の6程度―で、全体で融資金額10億円の半分に満たないとした。
「ヒスイの花瓶などは担保金額2000万円のところ、10万円にもならない」「ロダン、ピカソのブロンズ彫刻などは、実際は500万円程度の物が2000万円以上に評価されている」と記述。「銀行側が融資金額に見合うよう、担保金額をデタラメに査定していたことも明らかにされた」とした。
「ロマンを捨てることができない」ミノブの手記には……
「婦人公論」の同年6月号には「激情の嵐〈拘留二十二日間〉―レインボー女社長は抗議する―」と題したミノブの手記が掲載された。「摘発は衝撃だった」とし、「(古荘頭取との間で)事務的に完全責任を持ち、立派に処理している私どもとしましては、全く笑止の沙汰なのです」と強調した。「森脇将光氏に乗ぜられた」とも。
22日間の拘留生活を振り返り、半生を顧みて、「私は、いつまでもロマンの世界が捨てがたく、死という時間がくるまで、おそらくは夢を捨て去ることができないことでしょう」と語り、古荘前頭取への感謝の言葉で締めくくった。