実家の部屋のドアに「出ていけ」と張り紙

ぼくが怪談をはじめた十数年前は、怪談で食べているのは稲川さんや作家の中山市朗さんらほんの一握りで、呪物蒐集なんて趣味の延長に過ぎませんでしたから。

上京して、怪談イベントやYouTubeで顔と名前を売っていなければ、いまの自分はなかった――そう思います。

確かに、地方にも活躍している怪談師はたくさんいます。怪談って、SNSと相性がいいんです。コロナ禍でリモートが進んで、東京にいなくても、SNSで発信できますし……。

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あれ?

だとすると、神戸でも怪談は続けられたわけだから、上京しなければいまの自分はなかったという話は破綻しますね。格好いいことを言おうとしたんですけど。ホンマごめんなさい(苦笑)。

ただ実家にいるときにいまの自分を想像できなかったというのは本当なんですよ。上京する気なんて、ぜんぜんなかったですから。

ぼくは、姉が2人と弟が1人の4人姉弟なのですが、みんな結婚して家を出ています。なので、長男のぼくが42歳になるまで田中家の最後の砦として、神戸の灘にある実家を守っていたんです(笑)。

それなのに、母親は、ぼくの部屋のドアに〈出て行け〉と張り紙を貼るんです。親としては、ずーっと実家を出てほしいと思っていたはずです。ぼくが実家にいても、いらんことしかしませんからね。

大学受験に失敗、塾の月謝をくすねて海外へ逃亡

ぼくは大学受験に失敗して、インドに逃亡しているんですよ。高校時代、美大を志望していたぼくは、画塾に通っていました。一生懸命に勉強して、充実感も手応えもあった。入学試験当日、バッと起きて「よし行くぞ」と時計を見たら、すでにテストがはじまった時間だった。もうパニックですよ。

寝坊して受験できなかったんですけど、親にも画塾の先生にも受験したふりをしました。しばらくして親から預かった画塾に支払う30万円か40万円くらいの授業料を持って、インドに逃亡しました。親にバレるとマズいから、ふだん使っていた肩掛けの手提げひとつ持って空港を目指したんです。