どこででも働け、生活できる時代に人はなぜ上京するのか。元号が令和になってから上京した人にその理由を尋ねるシリーズ「令和の上京」。第2回は、42歳まで「子ども部屋おじさん」として過ごし、家賃3万円の東京のアパートにいつの間にか居着いた怪談師の男性――。(取材・構成=ノンフィクションライター・山川徹)
「成り行き」で40歳を過ぎて東京へ
いつでしたかね、上京したのは。東京に来てからはあっという間に時が過ぎちゃうんですよ。
神戸の灘の実家を出て、こっちにきたのは42歳のときです。いま、46歳だから……3年前、いや、年が明けたから4年前の2021年ですかね。矢沢永吉さんのように「東京で成り上がるぞ」という気持ちはまったくなかったです。ぼくの場合、上京のために決意を固めるとか、東京で一発当てるとか、そんな意識はありませんでした。「成り上がり」じゃなくて「成り行き」。ぼくの人生そのものですね(苦笑)。
そんなぼくが40過ぎで上京したきっかけは2つあります。どっちからしゃべりますかね。
東京のイベントはいつも赤字だった
まず1つ目のきっかけは、2013年に関西テレビの「稲川淳二の怪談グランプリ」で優勝させてもらったこと。
もともと母親が、オカルト好きだったんです。子どもの頃からレンタルビデオ屋から借りてきた稲川さんの怪談のビデオを見せられたり、霊能者の家や新興宗教の集まりに連れて行かれたり、女性週刊誌の「私の怪異体験談」みたいな記事を読ませられたりしました。母親の英才教育の影響で、ぼくも中学時代から、稲川さんの怪談をコピーして、親戚や近所の子どもに聞かせていたんです。
34歳で「稲川淳二の怪談グランプリ」で優勝してからは、東京の怪談イベントに呼ばれる機会が増えました。
怪談って、社会が不安定になると流行するという説があるらしいんです。令和に入ってからの怪談ブームで、怪談ライブやYouTubeで活躍する怪談師が増えましたけど、当時はまだ怪談で食べられる時代じゃなかった。怪談会やイベントのギャラも安いし、あご足――交通費も宿泊費も出ない仕事も少なくなかった。だから仕事で東京に来ているのに、赤字でした。