東京に来て歩む道が間違いなく変わった

神戸の人たちも、神戸のコミュニティも好きでしたけど、東京に来て、自分の世界が新たにひとつ増えた。歩む道が間違いなく変わりました。

神戸時代に世話になった保険会社の偉い人も「すごいな君、ホッチキスやってたのに」と喜んでくれています。

家族には、ぼくがいま何をしているか直接話してはいません。ただ姉がスパイになって、ぼくのSNSをチェックして母に伝えているんです。母親は「あなたにはこれだけお金を使いました」とか「私がレンタルビデオの延滞料金1万円を払ったのを覚えていますか?」とか恨み節を言ってきます。

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とはいえ、どうやら本当は喜んでくれているらしい。23年にぼくが書いた『神戸怪談』という本が神戸新聞で取り上げられました。父親は記事を切り抜いて取ってくれているそうですから。

これも姉伝いの話です。

母親と姉が神戸の本屋に『神戸怪談』を買いに行き、平積みされていた本を5冊買ってくれた。でも5冊ともぜんぶ怪談作家の宇津呂鹿太郎さんの『兵庫の怖い話』だったという。宇津呂さんも知り合いだし、面白い本だからいいですけど。

もう滅茶苦茶なんですよ。

成り行きの上京でぼくは変われた

いまは、清澄白河の家で200体の呪物と暮らしています。

集めはじめた当初は、単に髪の毛が伸びる人形や、チャーミーのようにかわいがってくれた人に祟る物が、呪物だと感じていました。ただ海外にも足を運んで、呪物を集めるようになって、呪物に対する考えが変わりました。

呪術とは、人の願いです。呪術師が人の願いを物に込める。物に人の思いや魂が宿る。それこそが、呪物なんだな、と。

昔、ぼくにとって呪物は、怪談のいちエピソードに過ぎなかった。けれど、歴史も政治も勉強してこなかったぼくが、呪物を集めながらいままで意識もしなかった歴史や文化、そして人の営みを自然に理解できるようになりました。

たとえば、アフリカで起こった民族同士の対立だったり、東南アジアの人の死の悼み方だったり……。呪物を通して、そうした知識や、まだ見ぬ人の暮らしが自然に頭に入ってくると言えばいいか。世界中に呪術や呪物が存在するというのは、文化や人種を超えた普遍的な人間の営みなんだなと実感するようになったんです。