ブレイク直前に突然の脱退
だが、ももクロがまさにブレイクしようとしていた矢先、早見は2011年の年明け早々、あっさりグループからの脱退を発表する。その理由は、自分はアイドルに向いていないと気づいたから、というものだった。
彼女自身は小学生の頃からモーニング娘。の大ファンだった。それだけに自分のなかに“ザ・王道アイドル”の基準があり、ももクロはそこからちょっと外れていると思っていたらしい。そのももクロのなかでも、《私以外のメンバーはいつもニコニコしていて、ファンの人が求めていることに答えてあげられる。一方、私はそういう才能が無いなって気づき始めてしまったんですよね》という(「CHANTO WEB」2022年3月22日配信)。
マネージャーも脱退を引き留めたが……
ももクロにおいて早見はサブリーダーを務め、グループをまとめたり、トークを回したり、また、おかしいと思えば指摘する役目も一手に担い、ほかのメンバーから頼られる存在であった。それだけに突然の脱退発表に、メンバーもファンも衝撃を受けた。
ももクロの名物マネージャーだった川上アキラも、早見から辞めたいと伝えられると、しばらくは慰留に努めた。だが、彼女がいちど決めたことを簡単に覆さないことも知っていた。そのため、ある時点で引き留めるのをやめたという(川上アキラ『ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと』日経BP社、2014年)。
ももクロ初出場の紅白で涙した理由
案の定、早見の決意は最後まで変わらず、先の発表どおり2011年4月の東京・中野サンプラザでのコンサートをもって脱退した。同時に5人組となったももクロは「ももいろクローバーZ」と改名して再スタートを切る。それでも、翌2012年に初出場した紅白歌合戦では、「行くぜっ!怪盗少女」を早見がいたときと同じく、曲の最後でメンバーが順番に言う名前に「アカリ」も入れる6人バージョンで歌った。
そのステージを早見は家のテレビで見ていて泣いたと、出番を終えた直後に電話をくれたかつての仲間たちに明かしている。ただ、彼女が泣いたのは《五人ががんばってきて、紅白の舞台に立てたことに感動した》からで、《逆に自分の名前が入っていた部分では「よしっ、私もがんばらなくちゃ!」って》思ったという(『Quick Japan』Vol.106、2013年2月)。