ナチュラルに自分はこの世にいてしかるべしと思っている

佐藤愛子とサトウハチロー ©文藝春秋

『はからずも人生論』で小島さんは、96歳を前にした佐藤さんと食事をした時のことをこう書いている。≪厚かましいことこの上ないですが、私としては佐藤さんとの間にシスターフッドと言いましょうか、不思議な連帯のようなものを感じたひと時だったのです≫

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桃子 小島さんにもそうですが、祖母は励まそうとか連帯しようとかではなく、ただ思ったことを言っているだけなんです。あくまでもフラットで、嘘がない。そういう人です。

響子 フェミニズムとかそういう意識もないと思いますよ。「男ならしっかりせい」とよく言ってました。「貴様、それでも男か」みたいな父親(作家の佐藤紅緑)譲りでしょう。

桃子 紅緑は戦後、生活能力を失うわけだけど、祖母は男には生活能力はいらないと思っている。「男らしさ」に肯定的です。

響子 尊敬していたから。父こそ真の男だという見方をしていたと思う。

庭で犬とたわむれる佐藤愛子さん ©文藝春秋

桃子 平成生まれの私からしたら、大正生まれの祖母はすごく男と女を分けてるなって思うんです。「男は人間で、女は人間未満」みたいな戦前の時代を生きてきた。だけど自己肯定感は強くて、自分は「人間」として生きているっていう意識もすごくあって。

響子 自己肯定以前、元々の性格だよね。

桃子 祖母はナチュラルに、自分はこの世にいてしかるべしと思っている。でも「女は人間未満」の時代を真に受けていた父親を尊敬している。その両方がないまぜになって、見たことのないフェミニズムになっているなという印象はあります。

響子 そうか。確かにそうだね。