また、広場の一角には駅設置の記念碑が建つ。250人もの人が土地を提供するなど協力した旨と、すべての人の名が刻まれたたいそう立派な記念碑だ。

 
 

駅前から西に伸びる商店街をそれていくと…

 そんな駅前広場の北西の端からは、西に向かってまっすぐ続く商店街。アーケードがあるような立派なものではないが、昔ながらの商店や金融機関などが並んでいて、2車線道路ながらクルマ通りも人通りもなかなかのものだ。

 途中で急な下り坂、小川を渡るとまた急な上り坂。武蔵野台地とそれを削る小河川からなる武蔵野らしい地形も感じられる。

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 この商店街を中心とする一帯は、野口町という。駅開業以前からのこの地域の中心で、正福寺という古寺には北条時宗が手がけたという千体地蔵堂がある。国宝に指定されているというからなかなかのものだ。それくらい、この地域には歴史があるということでもある。

 

 鉄道が開業すると、現在の商店街が駅にも通じるメインストリートとして130年の歴史を刻んできた。遠く青梅方面から切り出されたケヤキ材などの木材が東村山駅から鉄道で輸送されていたという。きっと、商店街になっているメインストリートにも木材を積んだ荷馬車か何かが走っていたのだろう。

 

 そんな商店街から逸れると、もうすっかり静かな住宅地だ。畑もところどころにあったりして、反対に大型のマンションなどはほとんど見当たらない。

 見上げれば空も大きく、実にのどかなこれまた武蔵野の住宅地。いまは家々になっている土地も、ひと昔前には田畑だったのだろうと容易に想像できる。

 
 

“志村けん”が東口にたたずんでいる理由

 そんなのどかな住宅地の西口から東口に移ると、いささか雰囲気が変わる。駅前広場の規模はそれほど変わらないが、何しろ東口の駅前には志村けんの木、その脇には2021年に除幕された志村けんの銅像が建つ。

 

 国分寺線だとか新宿線だとか語ったところで、東村山にあってはどれもこれも脇役に過ぎない。たまさか複数路線の交わる要衝になった、というくらいだ。