ちなみに、明治後期に発行された名所案内を紐解くと、めっぽうウマいサツマイモが採れたとか。川越のイモが有名だが、実は東村山のイモを川越イモと称している、などというずいぶん身も蓋もないことが書かれていた。まあそれくらいにのどかな田園地帯だったということだ。

20年で人口が7倍になった20世紀。21世紀の「東村山」はどうなる?

 1909年に設置されたハンセン病患者の療養所・全生園。その入院患者のための専用ホームが東村山駅に設けられていたという。戦前から戦後直後にかけては都心から列車で運んだ糞尿を貯蔵するタンクもあったとか。当時の糞尿は堆肥として再利用されていた。それだけこの地域が田園地帯だったという証でもある。

 
 

 そんな東村山も、戦後になって都市化が進む。きっかけは、戦後間もない時期に建てられた引揚者のための住宅団地だ。以後、公団や都営の団地が次々と建てられて、急速に住宅都市へと変貌していった。

ADVERTISEMENT

 終戦時には1万人ほどだった人口は20年で7万人近くまでに増えている。田園地帯が残る武蔵野の一角、それでいて交通の便の優れた東村山は、住宅都市にうってつけの地域だったのである。

 

 かくしてすっかり見違えた東村山の駅。高架化が完成すれば、なおのこと新しい姿を見せてくれるに違いない。駅の周囲では都市計画道路(つまり新しい幹線道路)の事業があちこちで行われている。鉄道が高架になって新しい道路ができれば、渋滞の悩みからも解放されることだろう。

 
 
 

 ただ、そうした現代的な住宅都市である一方で、駅前から少し離れればまだまだ畑がそこかしこに点在するのどかさも充満している。こうした風景は、いまでも多摩地域では普通に見ることができる。東村山は、のどかさと住宅都市としての発展を両立させてきた、実に多摩地域らしい町なのである。

写真=鼠入昌史

◆◆◆

「文春オンライン」スタートから続く人気鉄道・紀行連載がいよいよ書籍化!

 250駅以上訪ねてきた著者の「いま絶対に読みたい30駅」には何がある? 名前はよく聞くけれど、降りたことはない通勤電車の終着駅。どの駅も小1時間ほど歩いていれば、「埋もれていた日本の150年」がそれぞれの角度で見えてくる——。

 定期代+数百円の小旅行が詰まった、“つい乗り過ごしたくなる”1冊。

ナゾの終着駅 (文春新書)

鼠入 昌史
文藝春秋
2025年3月19日 発売

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。次のページでぜひご覧ください。