――るいぱちさんがバンライフに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
るいぱち 少し遡るのですが、30歳の時に余命を告げられるほどの病気をしたことがあるんですよ。無事に克服できたのですが、それから「人生には限りがあるんだ」と意識するようになって。だったら、失敗してもいいからやりたいことをやろう、と思うようになりました。
そのやりたいことの1つが、バンライフだったんです。あるときYouTubeを見ていたら、海外でバンライフをしている人の動画が流れてきて。豊かな自然の中で自由に生きる姿に心を打たれて、「俺もバンライフするぞ!」と思いました。ただ、その当時は会社を経営していたから、すぐには動けなかった。
――動けるタイミングが、コロナ禍に訪れたのですね。
るいぱち そうです。会社を手放したタイミングとコロナ禍が同時に訪れて、「今ならバンライフできるじゃないか!」と思って。ちょうどその頃再会した小娘にバンライフの話をしたら、「私も一緒に行く」と言ってくれて、二人で日本を旅することにしたんです。
小娘 るいぱちって、生命力があるんですよね。楽しく生きるためのスキルと知識、そして行動力があるというか。るいぱちが進む道が正しいかどうかは分からないけど、彼についていったら絶対楽しいだろうなって思えるんです。
「お姉さんと僕が昔、付き合っていたんですよ」2人が出会った“意外なきっかけ”
――「再会した」と話していましたが、二人は最初はどのように出会って、どんなきっかけで再会したのでしょうか。
小娘 最初の出会いは、私が7歳の頃です。第一印象は、「縄跳びを買ってくれた優しいお兄ちゃん」でした。
るいぱち 小娘も僕も栃木県出身で、地元が同じなんです。そして、小娘には年の離れた腹違いのお姉さんがいて、そのお姉さんと僕が昔、付き合っていたんですよ。小娘が僕らのデートについてきたことがあって、そのときにプレゼントしたのが、赤い縄跳びでした。
小娘 腹違いの姉がいるとはいえ、年は離れているし一緒に住んでいなかったから、一人っ子として育ちました。
小学生の頃は、るいぱちからもらった縄跳びで、よく一人で遊んでいましたね。そのおかげか、学校で一番縄跳びがうまかったと思います(笑)。
るいぱち 縄跳びをプレゼントした後、小娘の姉とは別れてしまったから、それ以来会うこともなくなって。ただ、小娘のお母さんがやっているカフェに僕が遊びに行っていたから、近況は聞いていましたね。
――その後、二人はどのように再会したのですか?
るいぱち 次に会ったのは、小娘が20歳の頃です。
小娘 私がキャバクラで働き始めて、あまり家に帰らなくなっていた頃でした。母が心配して、なぜかるいぱちに「小娘の様子を見に行ってほしい」って連絡したらしくて。
るいぱち その時は様子を見に行って、「あまり親に心配かけんなよ」って伝えただけで、特に何もなかったんですよ。

