――息子から見て、お父さんは子煩悩でしたか。
逸見 とにかく家では無口で。子育てはすべて母に任せて、本人はもう仕事一本というスタンスでしたからね。あんまり会話をしてもらった記憶がないんですよ、正直なところ。「飯・風呂・寝る」の典型的な昭和のお父さんでしたね。
一緒にいるときも静かに食卓を囲みながら父の出演している番組を見る、という感じでした。と言っても、見た感想を言えるような雰囲気ではなかったですけど。
「父と触れ合って語る時間もなかった」父に対して近寄りがたいと感じていたワケ
――自転車の乗り方を教わったりとか、そういうのもなかった。
逸見 なかったですね。母の弟、叔父が近くに住んでいたものですから、キャッチボールをしてもらったり。父とは「親子でなにかしてもらって、すごくうれしかったな」という記憶があまりないですね。箸の持ち方とか日常の細かいところは叔父に教えてもらう機会が多かったです。
父が忙しく不在にしている分、祖母や叔父、叔母など近くに住んでいた親族にサポートしてもらって、とても助けられました。そういった面でも家族のありがたみはとても大きく、感謝しています。
――「お父さ~ん」みたいに駆け寄っても、黙っている感じで。
逸見 「ねえパパ聞いてー!」と無邪気に甘えられる距離感ではなかったかもしれないですね。ただ「寄るな!」っていうわけでもなかったですし、「怖い父親」というよりも「近寄りがたい」という表現が近い感じですね。
昭和の時代のお父さんは外でお仕事、お母さんは家事、という典型的なスタイルで。昭和の頑固オヤジといいますか。いまでいう、イクメンとはかけ離れた父でした。
あまり父と触れ合って語る時間もなかったですし、その分、今自分の息子とは出来る限り時間を共有して、たくさん話をしようとしているんですが、それはそんな経験からきている気がします。
「この人、アナウンサーだよね」目立ちたがり屋だった父の素顔
――お父さんはフジテレビアナウンサー時代から忙しかったと思うのですが、授業参観などには来ていましたか?
逸見 表舞台に出ている方の中には、そういうのには徹底的に出ないで、家庭のイメージを出したくないとか、そういった美学を大事にする方もいらっしゃると思います。
うちの父はそういうタイプでもなくて。たまにですが、学校行事などには顔を出してくれましたね。ただ、今にして思えば、もしかすると本人が目立ちたかっただけだったのかな、と思うところもあります(笑)。
大阪生まれの関西気質というか、根が目立ちやがり屋の出たがりの面がありましたから。「この人、アナウンサーだよね」って気づかれたい思いもあったのかな、と。もちろん、「逸見さんとこのお父さんは来ないのかしら」って言われることも気にしていたとは思います。
