1993年12月25日にスキルス胃がんで亡くなった人気キャスター・逸見政孝(享年48)の長男で、『5時に夢中!』などの司会を務めたことで知られる逸見太郎(52)。

 そんな彼に、「自分は向いているんだろうか」と考えていた俳優としての活動、豪邸のローン返済に奔走した亡き母の姿、自身が運営する幼児体操教室などについて、話を聞いた。(全4回の4回目/1回目から読む)

逸見太郎さん ©釜谷洋史/文藝春秋

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「役者に向いてないからかな」俳優として抱いていた葛藤

――役者となったものの「自分は向いているんだろうか」と考えるようになったと。仕事自体は楽しかったのでしょうか?

逸見太郎(以下、逸見) 現場に行くたび、楽しくやっていました。俳優をずっとやってらっしゃる方の多くが、お金にならない時期があっても「好きだからやってます」という気持ちで続けてるんですよね。それで成立している業界ではあるので。

 アートや表現って、根源的にそういうものだと思うんです。絵を描いている人は、「絶対に売れなきゃいけない」って思いで描いているわけじゃないと思うんですよ。「絵を描きたいから描いている」という姿勢ですよね。「じゃ、自分はどうなんだ」って自問自答したときに、いまでいうタイパみたいなものを考えちゃってる自分がいて。

――俳優をやる情熱よりも先に、生活や収入といった現実を考えてしまう。

逸見 朝6時に新宿スバルビル前に集合して、おにぎりを頂きマイクロバスにゆられて現場に行き、夜まで撮影をする。

「20代の今ならできているけど、自分が40代になってもこの仕事に対して強い思いを持ち続けていられるのか?」「もし、中途半端な気持ちでこのままやっていくと、自分自身にも、共演者の方々にも失礼なのではないか?」

 そんな自問自答から「そんなことが頭に浮かぶのは、役者に向いてないからかな」といったことを考えちゃうようになったんです。さらに仕事もないから、なおさらマイナスなほうに進んでいくわけですよね。

「未経験であっても何でも勉強だから」『5時に夢中!』の司会に抜擢

――そうしたなか、2009年に『5時に夢中!』の司会に抜擢された。

逸見 「どうですか?」とオファーをいただいて。僕としては、これまで経験したことのない世界でしたけど「このような経験はなかなかいただけるものではないし、未経験であっても何でも勉強だから」というスタンスで挑みました。