「なぜこの作り? 間取り? 使いづらい!!」7LDKの豪邸に対するホンネ

――2000年あたりに、お母さんは骨髄異形成症候群にも。

逸見 10年ほど闘病しましたけど、最後のほうは肺胞蛋白症という指定難病になって、2010年に61歳で亡くなりました。やっぱり、父が頑固な性格でセカンドオピニオン、サードオピニオンに行かなかったのもあって、母はいろんな病院を回って治療していましたね。

――ちなみに、131坪の家に、太郎さん一家、妹の愛さんの4人だけで住んでいると、広くて持て余しませんか。

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逸見 広さは十分ですが、部屋の数が少なくて正直住みづらさもあって。両親が「空間を重視したい」という想いだったようですが、僕たちからすると「なぜこの作り? 間取り? 使いづらい!!」と(笑)。

 7LDKとはいえ、2世帯にしたので居間は広々としているんですけど、子ども部屋をどうするかでいつも悩んでいます。

 冬は寒いので家族全員1人1湯たんぽは必須です。デザイン性のある出窓も、蚊に悩まされ網戸を追加しました。

 

――たとえば、妹さんに家を渡して、太郎さん一家はほかの家に住むとか。

逸見 今のところ、息子が引き継ぐまではなんとか維持しようと思っています。その後は、息子が自由に自分の家を建てるとか、息子にとってベストな選択ができる状態にしておきたいと思っています。

父を反面教師にした子どもとの向き合いかた

――お父さんが「父と子が向き合う機会、男同士の時間を作ってくれなかったこと」を引きずっているとおっしゃっていましたが、自分がしてもらえなかったことを息子さんにしてあげようと考えたりは? お父さんを反面教師にするといいますか。

逸見 そう言われると、反面教師にしているかもしれないですね。父は「俺の背中を見て育て」というスタンスで、積極的に子どもに言葉や時間をかけて向き合うタイプではなかったですからね。一緒にふざけたり遊んだりする機会があまりなかったんです。もちろん、それが父なりの愛情表現だったと今はわかります。

 なので、僕は息子と接するときは、息子の目線まで下げて、時間を共有するようにはしていますね。「こうやったら喜ぶ」「こうしてもらったら子どもはうれしい、楽しい」というのは、誰でも子どもだったわけですからわかるじゃないですか。

息子との時間を大切にする逸見太郎さん(本人のInstagramより)

 ただ、子どもの目線で向き合い続けるというのは、実際かなり難しいことですよね。かなり意識しないと仕事だったり、日々に追われて余裕がなかったりで、わかっていてもなかなか行動に移すことができなかったりすると思うんです。どうしても親の都合を押しつけちゃうというか。1日をこなしていくことで精いっぱいになっちゃう。

 でも、こういうことってすごく大切ですよね。息子との関係に限らず、子どもたちと接する上でとても大事だと感じていますし、この感覚は今の仕事でも生かされていると思います。

――子どもと接する仕事をしている?

逸見 1月から、自由が丘で「アクティブキッズPE」という幼児体操の教室をやってるんですよ。