――アナウンサーや司会の経験はなかったわけですよね。
逸見 はい。なので、オファーを受けてから番組のスタッフの方と話し合いを進める中で、恵比寿にあった東京アナウンスアカデミーに通うことにしたんです。調べてみると、父とも親交のあった古舘伊知郎さんもそこに通われていたとのことで、とても驚きました。
始めたばかりの頃は本当に要領を得られなくて、プロデューサーさんにも沢山迷惑をかけてしまうという日が続いて。生放送中、思うように返答ができず、瞬時に言葉がパッと出てこなかったりするんです。放送が終わると、脳内がショートしちゃっているような感じですね、もう頭がクラクラしちゃって。
「司会者として父を超えるのは難しい」司会業を通して感じた父の凄み
――司会をやってみると、お父さんは凄かったと。
逸見 そうですね。独特の間合い、相手にしゃべらせる空気感の作り方というか。それはそれぞれの司会者が持っている技術だとは思うんですけど、そこに父の入念な下準備、生真面目さみたいなものが加味されることで、唯一無二のスタイルが生まれたのかな、と。
――司会者としての父は超えられないと。
逸見 司会者として超えるのは難しいと思います。やっぱり、僕は僕ですから。
父は、学生時代から司会をするのが好きでイベントなどでも率先して前に出ていたようです。大阪から東京に出てきた学生時代には、アクセント辞典を毎日読んで丸々3冊食べたと言われるほどですし。
「アナウンサーになって有名になって、学生時代にフラれた彼女を見返してやるぞ!」という気持ちが原動力だったようですが、その集中力、没頭する力には、僕は足元にも及ばないですよ。
その後、僕が知っているアナウンサーとして活躍していた時期になっても家で関西弁を使うことはなかったですし、家の中でもアクセントや言葉使いが間違っていると、家族みんなが父に指摘されていました。プロフェッショナルであるために継続して努力をしていたんだと思います。好きなことだからこそ、そこまで一生懸命続けられたんでしょうね。
『5時に夢中!』を降板→仕事が激減して月収2万8000円生活
――2012年に『5時に夢中!』の司会を卒業した際、番組内で「4月以降のスケジュールは白紙」だと話したそうですが。
逸見 本当に白紙でした。イベントの司会などをしていましたけど、それも全然で。
――3年にわたって人気番組の司会を務めていただけに、そうした状況に陥ったのは辛かったのでは。
逸見 「またか」みたいな(笑)。役者で大変だったのに、司会でもこれかと。役者をやっていたとき以上に「自分はなんなんだろう」「自分の肩書きってなんなんだろう」と、アイデンティティを見失いそうになっていましたね。ただ、役者よりも司会をやっているほうが楽しいという実感はあったので、「これはどうにかして繋げていきたいな」という強い気持ちはありましたね。
――「仕事が激減して月収2万8000円になった」とおっしゃっていましたが、本当ですか。
逸見 『5時に夢中!』を終えてからですね。金額を目にしたときは、「芸能界に居続ける意味あるのかな」とか「一応、大学も出してもらって、英語もできるのに」って思いましたよ。その時期は、貯蓄を切り崩したりして、なんとかやりくりしていましたね。
でも、自分ではそこまで落ちこんだり、焦ったりしてなかったつもりなんですけど。妻に言わせると、僕がかなり精神的に辛そうに見えたそうです。