――「怖い父親でもなかった」とのことですが、それでも子どもを叱るときは感情的になったり?
逸見 妹とケンカになって、ワーワーギャーギャーやっていると「うるさい!」なんて怒られましたけどね。とにかく、「静かにしていなさい」という父だったので、僕ら子どもたちがちょっとでも騒ぐと叱る。これもいまにして思えば、自分自身も生放送の番組をやっていた経験から理解できるところがあるんです。
やっぱり、毎日が生放送で常にピリピリしているというのがあったんじゃないかなと。緊張感や責任感が絶えない現場から帰ってくるわけですから。それもあって、家でも静かな環境を求めていたんだと思います。自分をリセットできる場所だったんでしょうね。
「怒り方が面白い」父の堪忍袋の緒が切れたときの意外な出来事
――怒っても、ちょっと声を荒げるくらい。
逸見 その怒り方が面白いというか、ものすごく印象に残っていて。あまりに僕らが騒いでいたものだから、とうとう父の堪忍袋の緒が切れたことがあったんですよ。昭和の時代というと、そういうときの父親ってバッカーンってひっぱたいてきたり、蹴っ飛ばしてきたりするイメージがあったじゃないですか。
なのでこっちも身構えたんですよ。そうしたら、スーッと近づいてきて、太ももかふくらはぎのあたりかをギュッとつねられて。「あ、うちはつねるんだ」って(笑)。
――意外性があるだけに、ヘタに殴られるより効きそうですね。
逸見 そうなんですよ。実際、いまだに記憶に残っていますからね。叩かれた、殴られたってことはまったくなくて、唯一手を出されたと言えるのが、そのつねられたことぐらいで。
母親はPTAで率先して学校と連携していた
――「勉強しろ」とは。
逸見 言わなかったですね。とりあえず「勉強はしたほうがいいぞ」ってスタンスでしたけど、そんなにガミガミ言うわけでもなく。どちらかというと、母(逸見晴恵)のほうが厳しかったですね。教育については父から一任されていたんだと思います。
習い事もけっこうやらされましたね。当時人気の習い事だったピアノや絵画教室に行かされたり、水泳もやっていました。ただ、どれも自分からやりたいというものではなかったので、楽しくやっていた記憶はないですね。ちょっと教育ママ的な感じで「あれやりなさい。これやりなさい」って言われていました。
その経験もあってか、今、自分の息子には強要したり、親から指示してやらせるのではなく本人がやりたいことをさせるようにしています。子どもが自分でやりたいことに気がついて、やらせてあげることが大事かなと。自分の好きを見つけてほしいな、と思いますね。
母は学校のPTAも頑張ってくれて、学校の催しがあるたびにリーダーシップを発揮していました。僕がいじめられたりしたので、PTAで率先して学校と連携をとることで、息子を守ろうとしていたのかもしれません。
