27歳の時に起きた実母の自死
――はじめに病院で鬱と診断されてから、次に双極性障害と診断がつくまでどれくらいかかりましたか?
木下 4年くらいですね。はじめは、自分が鬱だと思い込んでいるから、「ずっと気分が落ち込んでいる」と、先生に鬱の症状しか話してなかったんです。でも、自分は鬱じゃなくて双極性障害じゃないかと疑ってから、「すごく元気なときと、そうじゃない時が繰り返しくる」と症状を伝えると、双極性障害と診断がついた感じです。
――ハッキリ双極性障害と診断がついたとき、どう思いましたか?
木下 鬱に効く薬と双極性障害に効く薬が違うんですよね。これからは自分に合った薬を出してもらえるし、少しは治るかもしれないと思ったのかな。でも「病名がわかってホッとした」みたいな話ってよく聞くじゃないですか。それはあんまりなかったですね。複雑な気持ちだったと思います。
――ご自身では、なぜ双極性障害になったと思いますか?
木下 鬱は何か原因があって気持ちが落ち込んでしまうらしいんですね。自分で鬱だと思っていたときは、仕事も少しマンネリ気味だったし、燃え尽き症候群みたいな感じで鬱になったのかなって思っていたんです。でも、双極性障害は正確な原因はわかっていないものの、遺伝でも患う可能性もあると知ったのと、定期的に気分の波がある感じ、鬱と躁を繰り返すので、自分では遺伝からくる双極性障害じゃないかと思ってるんですよ。双極性障害は、原因となるものがあるのかないのかハッキリわかっていないようですが、自分の場合、今はとても幸せなはずなのに、なぜか気持ちが落ち込んでしまうのは、生まれつきとか遺伝なんじゃないかなって思うんです。
――ご家族や親族で、遺伝に関係しそうな方がいらっしゃったのでしょうか?
木下 今思えば、私の母が鬱っぽかったんです。でも、当時は携帯もスマホもなくて、ガラケーの時代だったので特に調べることもしなかったし、むしろ、よく横になっていたのでただの怠けものかな、くらいに思ってたんですよね。でも後から考えると、鬱か双極性障害、どっちかわからないですけど何かしら抱えていたんじゃないかなって。私の母は、私が27歳くらいのときに自殺してるんです。今考えると、そこまで精神的に大変な状況だったんだ…と思って、もう後悔しかないんですけど。
――お母さまはシングルマザーとして木下さんを含む3人のお子さんを育てましたが、お仕事も一通り終えた段階でしたか?
木下 そうですね。私は24歳で大食い大会のテレビに出て、YouTubeを始める前、まだ東京に出る前ですね。彼氏と同棲して山口にいながら、大食いの仕事をはじめていた時期だったと思います。
――かなりショッキングな出来事だったと思いますが、今はお母さまについてどう思いますか?

