白井 ならないですね。家ではしょっちゅうケンカしていて、兄のことをずっと嫌いでした。ただそれ以上に、学校や社会への不信感に苦しんでいた気がします。
――不信感ですか?
白井 学校では「障害者は弱い人だから、健常者が助けなさい」という教育をされますよね。でも実際は、家に帰ると障害者の兄に僕はいじめられている。そんな状況では「障害者は弱いから助けよう」とはとても思えません。
白井 大人になった今なら、「兄が憎い=障害者が憎い」じゃないことはわかります。でも子どもの自分にとっては障害者=兄でした。「障害者は助けないといけない」「でも自分は兄の事を憎く思っている」という板挟みで、障害者のことを憎く思う自分は悪い奴だと自分を責めていました。
「障害者のことを称えている芸能人の人たちが、実際に結婚したという話はほとんどないじゃないですか」
――「助けないといけない」という教育はそれほど強かったんですか?
白井 小学校高学年の頃に、道徳の作文の時間に先生から「良い題材があっていいね」と言われたこともあります。「兄を助けたいです」と書いてほしいことが見え見えだったんですが、その頃には完全に反発していて「絶対に兄のことを作文に書いてやるもんか」と思って書きませんでした。
テレビで芸能人がやっているような「がんばる障害者を支える感動コンテンツ」的な企画も嫌いでしたね。
――24時間テレビのような?
白井 そうですね。学校の授業やテレビに出てくる障害者と家族の関係は「障害があっても、家族で助け合って乗り越えました」という美談に溢れているけど、家では母が泣きながら兄を介助したり、父が暴力をふるったりしている。このギャップがとても大きく「障害者のことを助けるのが当然」だけれど「自分は絶対に介助したくない」という矛盾した感情に苦しんでいました。
――実際の苦しさはテレビには出てこない。
白井 そりゃ1年に1日や2日なら「障害者の人を助けよう」と思えるかもしれませんけど、365日そう思う事は僕にはできませんでした。それにあんなに障害者のことを称えている芸能人の人たちが、実際に知的障害の人と結婚したり家族になったという話はほとんどないじゃないですか。障害のある人間を自分の家族には選ばないのに、カメラの前でだけいい顔をしているように見えて、そういう大人に疑いの目を向けていました。
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