太陽の塔は、その誕生の瞬間から物議を醸した作品だった。建築家・丹下健三が設計した未来的な大屋根を、岡本太郎が「ボカン!と打ち破りたい」と言い出したのが誕生のきっかけだった。その結果、大屋根を突き抜ける高さ70メートルの巨大な塔が生まれた。

鉄骨・鉄筋コンクリート造で、表面は白色板金で覆われている。岡本は「太陽の塔は建築ではなく、彫刻だ」と語っていた。塔には正面の「黒い太陽」、背面の「太陽の裏」、頂上の「黄金の顔」の三つの顔があり、それぞれ現在、過去、未来を象徴していた。

丹下健三のデザインした大屋根を貫く形で、原始的な造形の太陽の塔がそびえるのは、進歩に対するアンチテーゼであることは広く知られる。

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岡本が考えたのは対極の思想だった。万博のテーマ「人類の進歩と調和」を踏まえ、進歩と伝統、近代と原始、理性と本能……。相反するものの衝突から生まれる新たな価値の創造こそが岡本の狙いだった。

なぜ万博後も愛されたのか

70年の万博の開催前、美術評論家たちから「グロテスク」「幼稚」と批判された太陽の塔は、開催後、誰もが認める万博のシンボルとなった。さらに興味深いのは、岡本が亡くなった1996年以降に太陽の塔への関心が再燃したことだ。

20世紀末、日本は沈んでいた。70、80年代のイケイケの空気は一切なく、バブルも崩壊、「どうにかなるはず」というかすかな期待は急速に萎んでいた。トンネルの向こう側が見えない中、人々は進歩や合理性よりも、人間の本質に迫った岡本に救いを求めたのかもしれない。

2018年に太陽の塔の内部が一般公開されると、予約は数カ月先まで埋まるほどの人気を集めた。耐震改修工事に約13億8800万円の費用を投じた大阪府の決断は、市民の強い支持を得た。2020年には国の登録有形文化財にも登録された。大阪府民を中心に、次は世界遺産登録という新たな夢も広がっている。

夜になると光る「太陽の塔」は、現在も「黄金の顔」が照らされ、大迫力の姿を見せている。これも万博開催中から実施されていたライトアップだ。塔の内部空間は現在も一般公開されている。4基のエスカレーターで昇り、生命の樹の周囲を見学できるようになっている。