闘病生活に入ってからある日、
「結局、僕らは親父からなんにも学んでないよな」
父と似たキャラクターがいない我々兄弟を思い浮かべて聞いたことがあるのですが、
「すまない、(子育てに)興味がなかった。自分がやりたいことが多過ぎて時間がなかった」
そう正直に白状されました(笑)。ただ、父なりに我々兄弟を愛してくれていたことは間違いありません。
「職業は石原慎太郎」
本人がよくそう言っていたようにどんなカテゴリーにも収まらない人でした。既成概念や体制に囚われることを軽蔑している。私にとって「リベラル(自由)」とはイデオロギーに囚われない父のことなのです。リベラルな人間がたまたまタカ派的な思想を持っているとみていました。
亡くなってから葬儀までの間に、ものを取りに父の書斎に入ると、テーブルの上に乱雑に積まれている本の中で柄谷行人さんの対話集が目にとまり、意外な取り合せだな、本当に交流があったの? と興味を持ち目を通しました。
哲学者で文芸評論家の柄谷行人さんの対話集『柄谷行人発言集 対話篇』です。柄谷さんといえば、憲法9条を擁護し「左翼」を自認している方ですから、改憲を主張した父とは相容れないイメージがあります。付箋がついている頁をめくると父との対談が載っていて驚きました。
調べてみると、対談は1989年に文芸誌「すばる」で行われたもの。当時、国会議員の父はその1カ月後に総裁選に出馬しています。二人の対談を読み進めると、政治から文学の話までお互い率直に対話しているのが伝わってきました。
今の世の中は、「ポリコレ」(ポリティカル・コレクトネス)の縛りがきつくなって発言が不自由になりがちです。党派的な分断が進み、考えの違う者同士の交流は滅多に見られません。
父はタカ派と言われましたが、作家でベ平連代表だった小田実さん(故人)とは親友だったと、本人から聞いたことがあります。小田さんは反戦を訴え、護憲運動にも熱心な方ですから、知人にこのことを言うと「石原慎太郎と小田実が!」と驚かれるのですが、父も、小田さんのベストセラーのタイトルである「何でも見てやろう」の精神でしたから、ウマが合ったようです。
昨年10月に余命宣告される少し前だったでしょうか、父が「自分は選ばれた人間だという自負はあったよ」と言いました。端から見てもそう思ってはおりましたが、本人の口からは今まで聞いたことがありませんでした。また、最近になってよく「Somebody up there likes me」と口にしていました。これはポール・ニューマン主演の映画「傷だらけの栄光」の原題です。実在したボクサーの伝記映画で、刑務所あがりの不良少年がミドル級チャンピオンになるまでの生涯が描かれています。直訳すれば、「上にいる誰かさんはオレの味方だ」。父が神を信じていたのかどうかは分かりませんが、「自分は運がよかった」「幸せな人生だった」と振り返っていたのでしょう。



